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滯英日記 >> シェリフ・ハットン

シェリフ・ハットン Sheriff Hutton

モンク・バーを見学し終えたところでヨーク観光は一時中断し、郊外にあるシェリフ・ハットンに向かった。
ピカデリーのバス停で181のバスを待つ。バス停はマーチャント・アドヴェンチャラーズ・ホールのすぐ裏側にあった。
バス停のまわりをうろうろしていると、迷っていると思われたのか、ベンチに座っていた婦人に話しかけられた。
「あなたどこへ行くつもりなの?」
「シェリフ・ハットンです」
「次のバスは……13時ね。あら、これを逃すと15時10分までないのね」
そうなんですよ。公共交通機関に頼る旅は時間の制約が多くて不便である。

やがてやってきたバスに乗り込むと、バスの中にwikipediaのシェリフ・ハットンのページをプリントアウトしたものが貼ってあった。親切だ。
ピカデリーのバス停を出た時点でお客は私だけ。三つめのバス停で女性が一人乗ってきたが、その後はずっと二人だった。
バスはものすごいスピードで走り、途中のバス停をすっ飛ばして行った。明らかに到着予定時刻よりも早く通過しちゃってる気がするのだが、いいのだろうか…。手すりを握りしめて激しい振動に耐える。にわか雨が降り出してフロントガラスを激しく打った。

30分ほど走った所で、窓の外に崩れ落ちた城の残骸が見えてきた。石の塊が四つほど、間隔を置いて建っているだけで、ほとんどもとの姿をとどめていない。周囲はなだらかな緑の斜面になっている。

■シェリフ・ハットン城 Sherrif Hutton Castle


この城は14世紀にジョン・ネヴィルによって建てられたもので、以後代々ネヴィル家に所有された。キングメイカーとして知られるウォリック伯リチャード・ネヴィルが亡くなってからは、その娘婿となったグロースター公リチャード(のちのリチャード3世)の所領となった。

後から乗ってきた女性と一緒にバス停で降りると、無人のバスはそのまま走り去った。次のバスは40分後。40分の間に見るべきものを見なければならない。
幸い雨は止んでいたので、とりあえず城に近づいてみることにした。城の周囲は個人所有の牧場になっているのだが、周囲をぐるりと囲むようにPublic footpathが設けられているのだ。


老朽化した城は崩落の危険があるようで、あまり近づけないのがもどかしい。フットパスと城の間がえぐられたようにへこんでいるのは、かつて堀だった部分だろうか。
服を着たロバや野を跳ねるウサギに見つめられながら、遠巻きに城の外周をまわる。


■聖ヘレンと聖十字架教会 St Helen & the Holy Cross

城を一周してしまうと、今度は教会を探した。シェリフ・ハットンの教会にはリチャード3世の王太子、エドワード・オブ・ミドゥラムが眠っているのだ。城の近くにあるものと思い込んでいたのだが、近くにそれらしきものが見えない。(うかつなことに、きちんと下調べをしていなかった)
バス停まで戻って地図を見てみると、バスが去って行った方向に教会のマークがあった。そういえばここはその名もChurch endという通りである。
帰りのバスの到着時間が迫っているため、早歩きでゆるやかな坂を上る。やがて木々の間に教会の塔が見え隠れし、その上にイングランドの旗がはためいているのが見えた。


嬉々として教会の門をくぐり、墓地を突っ切る。12世紀創建の聖ヘレンと聖十字架教会は王太子の墓所とは思えないほど可憐なつつましい教会だった。
しかしWELCOME CHURCH OPENと書かれているわりに、内側の扉が開かない。そうこうしている間にも時間は無情に過ぎる。もはやこれまでかと思ったとき、取っ手を少しひねるとロックが外れることに気づいた。
ようやく中に入り、見回すと左手奥に白っぽい棺が見えた。エドワード・オブ・ミドゥラムの墓像だ。

エドワード・オブ・ミドゥラムはリチャード3世と王妃アン・ネヴィルの間に生まれた唯一の嫡子で、父の戴冠に伴ってヨークミンスターでプリンス・オブ・ウェールズに叙せられた。しかし生来病弱だったエドワードは、立太子から一年もたたない1484年4月9日、ミドゥラム城で急逝する。わずか11歳だった。王も王妃も息子の死に目には会えなかった。

父の軍旗はリチャード三世協会の寄贈。
ステンドグラスには、こちらはひまわりではない、
正真正銘のSun in splendourが。

アラバスターと思われる柔らかそうな石は所々が欠損し、新しい大理石で補修されていた。それでも、顔立ちも分からなくなるほど磨耗したこの小さな像は、いやおうなく見るものの胸を打つ。
立派な王冠は小さな頭には重そうで、胸の上で合わせられた手の、その手首も痛々しいほどに細い。腕の間には、訪問者が差し込んだのか、ラベンダーの一枝と、何か細長い紙包みが抱くように置かれていた。

一粒種のこの王子を失った両親の嘆きは深く激しいものだったという。どんな思いでこの像を彫らせたのだろうか。

教会の内部はあちこち改修されているようで、王子の像も教会内を転々としてきたらしい。また、墓像はここにあるけれど、遺体がこの教会に葬られているかどうかという点については議論があるそうだ。


隣にあったどなたかのお墓。
エドワード4世とエドワード5世の絵が飾られているけれど、
とくに関係はないはず。

感慨にふける間もなく時間が迫ってきたので急ぎバス停へ。
グレーのパーカーを来た地元のお兄ちゃんとともに乗り込む。



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