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滯英日記 >> バートン・アグネス

バートン・アグネス Burton Agnes

乗り込んだのは12:25発の121のバス。スーツケースをもってバスに乗るのは迷惑ではないかと心配だったが、さいわい荷物置き場のあるバスだった。目指すバートン・アグネス・ホールまでは約2時間の道のりである。

バートン・アグネス・ホールのことは、シェリフ・ハットンについて情報収集をしている時に知った。青さんの亡霊たちのヨークシャーという旅行記である。
何気なく読み進めて驚いた。これは子供の頃に偕成社の本に載っていた幽霊話ではないか。
物語のおおまかなあらすじはこうだ。

イングランドの名家グリフィス家には三人の娘がいた。一家は館を新築している最中だったが、この新しい家をいちばん楽しみにしていたのが末娘のアンで、壁の色から調度品の選択にいたるまで事細かに口を出すなど、たいへんなこだわりようだった。
ところが館がほぼ完成に近づいたある日、アンは外出先で暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負ってしまう。
アンは死の床でふたりの姉に頼む。自分が死んだら、首を切り落として館に安置してほしい。いつまでも大好きな家にとどまっていたいから、と。
姉たちは一旦は了承するものの、やはり妹の首を切り落とすのはしのびなく、通常どおり教会に埋葬した。しかしその時から不可解な出来事が多く起きるようになった。
そこで姉たちはアンの遺言を思い出し、墓を掘り起こして棺を開けてみた。すると不思議なことに、埋葬したばかりの遺体の首だけがすでにしゃれこうべになっており、早く連れて行ってくれといわんばかりに人々の足元に転がってきたという。
家族はアンのしゃれこうべを持ち帰り箱に収めて館に安置した。それ以後アンの亡霊が現れることはなくなったが、しゃれこうべを館の外に出そうとすると、そのたびに怪奇現象が起きるのだった。(偕成社『世界のおばけ話』より「石になった馬車」)

この物語に登場する館こそがバートン・アグネス・ホールである。
大人になってインターネットを使うようになってから、何度かこの幽霊話の出典を調べようとしたのだが、アンの幽霊、というと出てくるのはアン・ブーリンの話ばかりで、目指す情報にたどり着くことはできなかったのだ。
アンが執着した館が今も残っており、しかも観光客に開放されていることを知れたのはうれしい収穫だった。

■バートン・アグネス・ホール Burton Agnes Hall

到着予定時間が近づいて、そわそわと窓の外を眺めていると、広い道路沿いの木々の向こうにエリザベス朝風の建物が垣間見えた。帽子をかぶったような形の塔がロンドン塔のホワイトタワーによく似ている。
バスを降りて近づいていくと、先ほどの建物は実は門で、その向こうに屋敷へとつづく道があった。門の前には駐車場があり観光客の姿も見える。
この頃になると雨はやんでいた。

受付の上品な老婦人にスーツケースを預かってもらえないかと聞くと快くOKしてくれた。
ガイドブックを買ってホールへ足を踏み入れる。
幼い日に親しんだ幽霊話の舞台がいま眼の前に。感無量である。本の中にしかないと思っていた場所に実際に立てるなど、長く生きていると、子供の頃には思いもよらなかったことが起こるなあ。

 

グレイト・ホール 

入ってすぐの部屋はグレイト・ホールと呼ばれる。黒と白の大理石を組み合わせた瀟洒な床、壁面は神話や聖書をモチーフにした重厚なレリーフで飾られている。
ここを通り抜けるとインナー・ホールで、館を築いたサー・ヘンリー・グリフィスの三人の娘の肖像画がかかっている。
右端で喪服を着ているのが件の幽霊話の主人公、アンだ。


グリフィス家の三姉妹

かつて読んだ本の挿絵の影響から、なんとなく18世紀か19世紀頃のお話だと思い込んでいたので、エリザベス風の衣装を身にまとったアンの姿に意外の感がある。
ふたりのお姉さんはフランセスとマーガレット。系図を見るとヘンリー・グリフィスには男の子もあったようだが、子女を遺さず亡くなったのか、邸宅は長姉フランセスの子孫が代々受け継いできたそうだ。
インナー・ホールの並びにあるのが赤い客間と中国風の部屋、ダイニングルーム。

 

赤い客間

マントルピースには骸骨をあしらったレリーフ


 

中国風の部屋

ダイニングルーム


ちなみに、見取り図を見ると公開部分は館全体の半分程度であるらしく、他の部分がどうなっているのかたいへん気になるところである。

 

精緻な彫刻が施された階段を上がって二階へ。
二階にもダイニングルームがある。こちらは白を基調としており、女性的な印象。

ダイニングルーム


キングス・ステート・ルーム

ダイニング・ルームから続いているキングス・ステート・ルームは、ジェームズ1世が戴冠式のためエディンバラからロンドンに赴く途中この館に一泊した際、使用した部屋だといわれている。ただしガイドブックによると、実際には当時まだこの部屋は完成していなかったので、伝説に過ぎないであろうとのこと。

クイーンズ・ステート・ルーム

館の中でもひときわ美しいこの部屋が、1620年にアンが亡くなったとされる場所。
ロープが張ってあって奥まで入れないのですべてをくまなく見ることはできないが、ベッドの裏にも小部屋が備えられている(たまたま居合わせた観光客のおばさまは「化粧室じゃないかしら」と言っていた)。


アンのお姉さん フランセス

やがて他の見学者が去って行ったので私は一人になった。
不思議に怖いという感覚はなく、こんなに愛らしい部屋なら、10代の若い女の子が執着するのも無理はないと思った。
幽霊なら重傷を負わせた相手にまず復讐すればよいと思うのだが、アンを襲った暴漢がひどい目にあったという話は聞かない。
アンにとってはそんなことはどうでもよくて、ただただ大好きなこの家に残りたいということしか頭になかったようだ。
身の回りを飾ったり居心地よくすることに心血を注ぐ、平凡な若い娘だったのだろう。

しかし、観光客が土足で入ってくるというのもなかなか不愉快なものだと思うのだが、その点アンは気にならないのだろうか。
「入場料が館の維持費になるからいいのよ」と思っているのかな。

最上階の大部分は「ロング・ギャラリー」と呼ばれる大きな部屋で占められている。その名のとおり、セザンヌやマティスなど現代作家の作品が飾られている。

ロング・ギャラリー


図書室

ひととおり館内を見終わったところで、庭園に降りてみた。館の正面はフランス式庭園だが、その一画にキッチン・ガーデン、ジャングル・ガーデンなどと名づけられた複数の庭園が設けられている。薔薇園はどことなくゴチャゴチャしていた。


巨大なチェス盤



■ノーマン・マナーハウス

館の正面向かって左側には、バートン・アグネス・ホールが建つ以前のマナーハウスが建っている。そんなに古そうには見えないが12世紀、ノルマン期の建造だという。美しい地下室が残っているそうだが、中に入ることはできなかった。


ノーマン・マナーハウス


■バートン・アグネス・チャーチ

マナーハウスのそばの門からいったん敷地の外に出ると、教会へつづく道があらわれる。
13世紀設立の小さな教会。シャーロット・ブロンテの親友だったエレン・ナッシーの兄で、シャーロットに求婚した(が速攻でふられた)ヘンリーはバートン・アグネスの牧師だったというがこの教会に勤めていたのだろうか。

中に入ってみるとグリフィス家の人々がずいぶん葬られている。立派な墓碑がいくつもあった。アンの首無し遺体もこの教会のどこかに葬られているのだろう。
教会の中にあった古い墓碑によると、最初にバートン・アグネスに住んだサー・ウォルター・グリフィスの妻ジェーンはレイフ・ネヴィルとメアリー(ジョン・オブ・ゴーントの孫娘)の娘であるという。こんな所にもジョン・オブ・ゴーントの影がある。

 


受付の女性にお礼を言ってスーツケースをピックアップしたあと、庭のすみのカフェでお茶とスコーンをいただいた。ここの店員も親切であった。他のお客も車でやってきたお年寄りばかりで、安心感がある。
土産物屋にはバートン・アグネスらしいグッズはなく、ガーデニング用品やなぜか野菜や花も売られていた。アンのグッズがあったら欲しかったのだが。

スーツケースをがらがらひっぱってバス停へ。先ほどは気づかなかったが、バス停の目の前にBlue BellというB&Bがあった。「Burton Agnes Blue Bell」というバス停の名前はこれが由来だったのかと納得。
ベンチに座ってぼーっとしていると、観光地でもない町の道端に座っている自分がつくづく不思議に思えてくる。
中年の女性が一人と、孫ふたりをつれたおばあちゃんがやってきて、五人でバスを待つ。
やがて121と書かれたバスがやってきたので立ち上がったが、なんとバスは素通りしていった。動揺していると、中年の女性が「大丈夫、すぐに次が来るわよ」
その言葉どおり、間髪入れずもう一台の121がやってきた。女性、私のほうを振り返って「ほらね」とにっこり。
とりあえず一安心だが、ではさっきのバスはなんだったのだろう。

ブリドリントンのバスステーションで下車。しかし電車に乗り換えるにはその手前で降りたほうが便利だったようだ。バスステーションと鉄道駅はけっこう離れていて、バスステーションのほうが町の中心にある感じ。
ブリドリントン駅は感じのよい小さな駅で、やはり構内で花が売られていた。駅内のカフェでは荷物預かりサービスも行っているらしい。ブリドリントンも有名な保養地で、シャーロット・ブロンテがはじめて海を見たのはここだったという話だ。


ブリドリントン駅



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