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滯英日記 >> ロンドン(3)

《タワー・グリーン》

中庭の隅にタワー・グリーンと呼ばれる芝生を敷きつめた一角がある。
ここでかつて10人の罪人が斬首された。うち二人は王妃、一人は女王であった。すなわちアン・ブーリン、キャサリン・ハワード、ジェーン・グレイである。そのほか、エドワード4世の重臣ヘイスティングス卿、最後のプランタジネットと呼ばれたソールズベリー女伯マーガレット・ポール、エリザベス1世の寵臣エセックス伯ロバート・デヴァルーもここで処刑されている。
なかでもソールズベリー女伯の死に様は非常に悲惨なもので、72歳の彼女は処刑台の上を逃げ惑い抵抗したがついに捕えられ、斧で滅多打ちにされて絶命したと伝えられる。今も彼女の命日には彼女の亡霊が現れ、処刑台の上で斬首までの一幕を演じるという。

タワー・グリーンはそんな歴史が嘘のように長閑に静まり返っていた。芝生の上には真新しい記念碑が建っている。モチーフになっているクッションは囚人が膝をついたものであろうか。
円周上には記念碑の作者ブライアン・キャトリングによる詩文が書かれている。

穏やかな訪問者がしばし立ち止まる
今立つその場所で死が光明を切り払った
貴人らの輝く玉の緒が断たれていった場所だ
時代が変わろうとも彼らの争いと勇気に思いをめぐらせて
とどまることのないこの空の下で彼らの冥福を祈らん
 (ガイドブックより引用)

記念碑の背後に建つのは聖ピーター・アド・ヴィンキュラ礼拝堂(見学することはできなかった)。タワー・グリーンで処刑された人々の多くはこの礼拝堂に埋葬された。アン・ブーリンは棺も用意されず、矢箱に詰め込まれてここに埋葬されたと伝えられる。エリザベス1世はなぜ母親の名誉回復や改葬を行わなかったのだろう。

タワー・グリーンを挟んで聖ピーター・アド・ヴィンキュラ礼拝堂のちょうど向かいには、クイーンズ・ハウスと呼ばれる木造の建物郡がある。ヘンリー8世が新王妃アン・ブーリンの戴冠式に備えて、彼女の居所として作らせたものであるが、皮肉なことに3年後、失脚したアンが処刑を待ったのもこの建物であった。

《ビーチャム・タワー》

エドワード1世によって1281年に建造された。壁面に囚人たちの刻んだ文字が残されていることで知られる。
2階に上がって周囲の壁を見回すと、ひときわ大きな図柄が目をひく。ジェーン・グレイの「九日女王」事件に連座し投獄されたノーサンバランド公ジョン・ダドリーの息子たちのうち、長男ジョンが彫ったとされるものだ。なおノーサンバランド公と、ジェーン・グレイの夫だった六男ギルフォードは処刑されたが、他の息子たちは生きてロンドン塔を出ることができた。

六男ロバートの刻んだ文字も残されている。画面中央75番の木のような図柄がそれ。
ロバートはのちにエリザベス1世の寵愛を受けるレスター伯である。

《ブラディ・タワー》

この塔こそが問題の場所、「ロンドン塔の二王子」少年王エドワード5世とその弟ヨーク公が幽閉され、暗殺されたと信じられている現場である。
エドワード5世は父王エドワード4世の後を襲って12歳で即位したが、両親の結婚が無効とされたことから彼の王位継承権も否定され、叔父であるグロースター公がリチャード3世として即位した。その後、二王子は身柄をロンドン塔に移されるが、1483年を最後に消息を絶った。


ロンドン塔の王子たち 
ポール・ドラローシュ画,1851年,ルーヴル美術館蔵

シェイクスピア史劇の影響もあり、長く二王子はリチャード3世によって暗殺されたものと信じられてきた。一方で、王位継承を否定された甥を殺すメリットがリチャードにはあまりないことから、後にリチャードを倒し王子たちの姉エリザベス・オブ・ヨークと結婚したヘンリー7世こそ下手人だという説もある。だが、真実は今も不明のままである。

展示室の壁には映画『リチャード3世』やシェイクスピア史劇を元にした絵画が投影され、「二王子を殺害したのは誰か」投票が行われていた。結果はリチャード犯人説が多数派。極悪人としてのリチャード3世像は否定されつつあるとはいえ、リチャード3世を甥殺しの犯人と考える人は今でも多いようだ。

ブラディ・タワーはサー・ウォルター・ローリーが13年間に渡って監禁されていた場所でもあり、彼の執務室が再現されていた。最終的には処刑されたとはいえ、処遇はそう悪いものではなかったようで、彼は獄中で『世界史』を執筆したりもしている。

《セント・トマス・タワー》

1270年代にエドワード1世によって建造された塔。内部にはエドワード1世の居室が再現されていた。記録によると、テムズを見下ろせる位置に礼拝堂が設けられていたという。暖炉には王妃エリナー・オブ・カスティルの祖国カスティーリャの紋章があしらわれている。

城壁にそって残りの塔をざっと見学する。

《ランソーン・タワー》

もとはヘンリー3世の王妃エリナー・オブ・プロヴァンスの居城であったが1774年に焼失。現在の塔は19世紀に再建されたもの。

《ソルト・タワー》

1230年建造。牢獄として使用されていたらしく、囚人たちの刻んだ文字が残っている。

《ブロード・アロー・タワー》

1230年代にヘンリー3世によって建てられた。ここも牢獄として使用された歴史があり、エリザベス1世の家庭教師だったカスティリヨーネの刻んだ文字が暖炉の横に残っていた。

《国王の獣たち》

城壁から下を眺めると、猿や象の人形が飾られているのが見える。これは「国王の獣たち」と呼ばれる展示で、かつてロンドン塔が王立の動物園でもあったことに由来している。


城内に残るローマ時代の城壁


城内をぐるりと一周し、気づけばお昼をまわっていた。昼食をとるためカフェに入る。チキンのクリーム煮とエルダーフラワーのジュースを選択、なかなか美味しい。店内は親子連れでにぎわっており、カフェのカジュアルな雰囲気も手伝って、なんだかディズニーランドに来ているかのような気分。
満腹になったところでカフェのそばにある土産物屋に立ち寄る。イギリス人はこういうものを考案するのが好きなのか、他のヨーロッパ諸国に比べると、ご当地おもしろグッズが充実しているようだ。ヘンリー8世型消しゴムとヘンリー8世と六人の妻オーナメント(45ポンドもした…)を購入し、ロンドン塔を後にする。
展示は分かりやすく、カフェのメニューは充実、お土産もののラインナップも豊富。まさにいたれりつくせりの観光地であった。その分、歴史上の人物の息遣いを感じ取るような、しみじみとした感慨はなかったように思う。ロンドン屈指の幽霊スポットのはずだが、本当にあの場所にアン・ブーリンやソールズベリ女伯が現れるのであろうか。




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