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滯英日記 >> ロンドン(4)

■ウエストミンスター宮殿 Palace of Westminster

アンダーグラウンドに乗ってウエストミンスターへやってきた。地上に上がると、ウエストミンスター宮殿の一部であるビッグベンが間近に見られる。宮殿の前にはオリヴァー・クロムウェルの像が建つ。
また、宮殿の南側の広場にはロダンの彫刻「カレーの市民」がある。百年戦争時代、エドワード3世の攻勢に耐え切れず開城したフランス・カレーの代表者6名が、半裸で首に荒縄を巻いて城門を出てくる姿を描き出したものだ。英国人がここにこの像を置く意味を考えてしまう。


ウエストミンスター宮殿はもともとはエドワード懺悔王が11世紀に建てたもので、ヘンリー8世の時代まで国王の主要な住居として使われていた。しかし、 1834年10月16日に発生した火災によって宮殿のほとんどは焼失し、建造当時の面影をとどめているところはごくわずかである。

厳重なチェックをうけて国会議事堂へ入場。一般公開しているのは夏季のみということもあってか、なかなかの人気観光スポットのようである。チケットはあらかじめネットで予約しておいた。
回廊を抜けると、ウエストミンスターホールと呼ばれる広間に出る。ウィリアム2世が1099年に拡張した広場で、宮殿の中では数少ない、中世の面影を残す場所である。

これより先はガイド付きツアーでないと入れない。ガイドさんを中心として20人ほどのグループでぞろぞろと宮殿内部に入る。写真撮影は禁止されていた。
ウエストミンスターホールから階段を上がるとRobing Roomと呼ばれる部屋に通される。壁面には英国の歴代国王、女王の立像が飾られているが、滞在時間が短いので全部はチェックできない。エドワード3世、エドワード5世、リチャード3世、アルフレッド大王、アン女王、マーガレット・オブ・アンジュー、フィリパ・オブ・エノー、エリナー・オブ・カスティル等の姿を確認した。
続くRoyal Galleryでは部屋の両面に掛けられたワーテルローとトラファルガーの巨大な絵を鑑賞する。
Prince's Chamberと呼ばれる部屋にはテューダー朝とステュアート朝の王族の肖像画がかかっていた。王族だけではなくその配偶者も一緒に描かれており、フェリペ2世(メアリ1世の夫)やルイ12世(ヘンリー8世の妹メアリの夫)などもいるのがなんだか妙な感じがする。テューダー朝、ステュアート朝といっても実際の装飾はヴィクトリア時代のものであろう。この部屋に限らずウエストミンスターの内装はヴィクトリア色が強く、いたるところにVR(VICTORIA REGINA)の飾り文字が見られた。
最後に議場を見学。上院はさすがにきらびやか。女王陛下の椅子もおかれている。下院は質素でこぢんまりとしており、日本の国会議事堂とはだいぶ趣が違うと感じた。

■ウエストミンスター寺院 Westminster Abbey

英国王室の霊廟、ということで楽しみにしていた。が、中に入ると見学者が一杯で芋洗いのような有様である。
人の間を縫うようにして内部に足を踏み入れると、入り口近くにひときわ新しいプレートがあるのが目をひいた。リチャード3世の王妃アン・ネヴィルの名が彫られている。彼女がここに葬られたことを示すもので、リチャード3世協会によって設置された。

とにかく混雑していて全体像はよく分からないが、教会の心臓部にはエドワード懺悔王の霊廟があり、それを取り巻くように、ヘンリー3世、エドワード1世、エリナー・オブ・カスティル、エドワード3世、フィリパ・オブ・エノーらが葬られているらしい。懺悔王の霊廟内はガイドツアーでしか入れないそうだが、どこでガイドツアーを申し込んだらよいのか分からず、見学できなかった。

チャペルをひとつひとつ見ていくと、北の身廊に正装したエリザベス1世の仰臥像があった。エリザベスは凄い女性だとは思うけれどもそれ以上の思い入れはない。しかし、説明書きを読み、同じ墓穴に異母姉メアリ1世も葬られていることを知って少し驚いた。
メアリ1世は、プロテスタントを迫害したこと、スペイン王子と結婚したことなどから、きわめて不人気な女王だが、彼女の不幸な生い立ちを思うと同情心のほうが先にたつ。エリザベスとの関係も終生緊張感のあるものだったが無理もないだろう。
解説によると地下の墓穴ではメアリの棺の上にエリザベスの棺が乗っているそうで、それもなんだか気の毒だと思う。
メアリ1世とエリザベス1世の墓の近くには彩色が施された小さな子供の像があった。ジェームズ1世の娘ソフィアとメアリのものだという。

メアリ&エリザベス姉妹の眠るチャペルを出て、階段を上がると、ヘンリー7世が増築したLady's Chapelに出る。白を貴重とした壁面、レース細工のようなヴォールトが圧倒的な印象を与える美しいチャペルである。このチャペルの中央にヘンリー7世と王妃エリザベス・オブ・ヨークの墓がある。
国王夫妻の仰臥像は高い鉄柵で囲まれ、近づいてもその表情を覗き込むこともできない。爪先立ちに鉄柵の中を覗いたとき、レスターの駐車場と化したグレイフライヤーズ修道院跡を、ゴミの浮いたソア川を思い出した。あの汚い川に投げ捨てられたかもしれないリチャード3世。それに比べて、このヘンリー7世の墓のなんと豪壮なことか。戦争に勝つとはこういうことだ。そして負けるとはああいうことなのだ。

ヘンリー7世のチャペルを挟んでエリザベス1世の墓のちょうど反対側には、ピーターバラから移されてきたメアリ・ステュアートの墓がある。個人的には為政者の素質に欠けた愚かな君主、浅墓な行動で招かなくてもよい不幸を招いた女性という印象なのだが、メアリ1世と違って人気が高いのは、たぶん美人だからである。
メアリ・ステュアートの仰臥像はエリザベスのそれよりも壮麗で、台座も高い所にある。なんでも、メアリ・ステュアートの息子ジェームズ1世がイングランド王として即位したとき、母を処刑したエリザベス1世への意趣返しとしてこのように墓を飾り立てたのだという。

メアリ・ステュアートの並びにある墓を覗き込むと、見覚えのある女性がいた。ヘンリー7世の母、マーガレット・ボーフォートだ。肖像画とまるで同じ顔をしている。

懺悔王のチャペルには入れなかったが、周囲に埋葬されている人々の棺を外側から見ることはできた。親切にも、名前を記したプレートが設置されている。
エドワード3世の棺のまわりには彼の子供たちの小さな像と紋章が彫られていた。長男エドワード黒太子を筆頭に12人もの子供に恵まれたこの王らしい棺である。
中に、イングランドの紋章にカスティーリャ・アラゴンの紋章を組み合わせたものがあった。カスティーリャ王女と結婚した四男ジョン・オブ・ゴーントか五男エドマンド・オブ・ラングリーのものかと思ったが、彫られている像は女性である。いぶかしく思いながらその場を離れたのだが、帰国後に、あれはペドロ1世と婚約していた次女ジョーンの像ではなかったかと思いついた。婚儀のためカスティーリャに赴く途上、ボルドーに立ち寄った際に、当地で猛威を奮っていたペストに倒れ死去した王女だ。エドワード3世夫妻はジョーンをことのほか愛していたという。不幸にも早世した娘にカスティーリャ王妃としての栄誉を与えるため、この紋章を刻み込んだのかもしれない。

回廊のMuseumではFuneral effigyの展示をしていた。葬儀の間、遺体の代わりに展示していたというもので、はじめてみたが、なかなか興味深い。最初(エドワード3世やアン・オブ・ボヘミアなど)は木彫りの素朴なものだが、時代をくだるにつれて、蝋で型取りし、鬘をつけ、本物の衣服を着せた、リアルなものに変わって行く。
寺院のガイドブックとともにこのFuneral effigyの解説書、それとWho was buried where?という歴史上の有名人の埋葬地ガイドブックを買う。墓とか葬儀にまつわるものが大好きすぎてまるで変態のようである(間違ってはいないが…)。レジの女性が「重いわよ〜」と笑いながら袋を手渡してくれた。
Who was buried where? は簡略ながらなかなか使えるガイドブックであった。
セント・ポール大聖堂に葬られたというジョン・オブ・ゴーントと最初の妻ブランシュの墓の現状が分からず、訪問を迷っていたのだが、この本を読んで、やはり現存していないことが分かった。1666年のロンドン大火で失われ、その後特に再建などされていないそうだ。旧セント・ポール大聖堂に限らず、ロンドン大火では中世以来のいろいろなものが焼失していて、恨めしいことである。

ウエストミンスター寺院には他にもチョーサーやテニスンなど高名な詩人たちが埋葬されているPoets'Cornerがあったり、戴冠の椅子があったり、色々な見所があるのだが、人が多すぎて正直よく覚えていない。
人波に揉まれながら外に出てやっと一息つく。
「もっとじっくりたかったなあ」と思いながら振り返って出口の彫刻を見上げていると、無賃入場しようとしていると思われたのか、係員から「チケットを見せろ」と言われる。今出てきた所だってば。



確証はないが、リチャード2世と
アン・オブ・ボヘミアだろうか?→


■トラファルガー広場 Trafalgar Square

ウィリアムとケイトグッズ満載の土産物屋をひやかした後、トラファルガー広場-まで歩く。
広場の真ん中には巨大なネルソン提督の像が建っている。「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」だな、と見上げる。大きすぎて提督の顔の判別もつかないが、フランスのほうを睨んでいるという話を聞いたことがある。

■ノートルダム・ド・フランス Notre Dame de France

ナショナル・ギャラリーの前を通り抜けてレスター・スクウェアに出、ノートルダム・ド・フランスを探す。ノートルダム・ド・フランスは英国に住むフランス人のためのカトリック教会。内部にコクトーの壁画があるのだ。
探し当てたノートルダム・ド・フランスは、中華料理屋が立ち並ぶ雑然とした一画にあった。



祭壇は確かにコクトーの絵で飾られている。コクトーの壁画を見るのは、ヴィルフランシュ・シュル・メール、マントン、ミイ・ラ・フォレに続き四つ目である。
『ダ・ヴィンチ・コード』という質の悪いサスペンスが流行った頃は、この教会にも観光客が押し寄せて混雑したと聞くが、最近ではさすがに落ち着いているようで良かった。


祭壇の左手にはコクトーの自画像も。


イギリスではまったく見かけない(当然だ)聖テレーズの像に蝋燭を捧げる。国教会の教会ばかり見てきたので、カトリックの教会がなんだかなつかしい。
礼拝堂では机につっぷしている人が何人もいた。熱心に祈っておるなと思ったが、近づいてみると寝息が……。


帰りに近くの書店Stanfordに立ち寄る。
ガイドブックを持ち歩くのが重くて不便だったので、手軽なサイズの地図が欲しかったのだ。首尾よくペンギンブックスの薄い地図を購入。嬉しいことにクロスビーホールが載っている。あとで行ってみよう。
夕飯はM&Sで買ったサラダとサンドイッチとパンナコッタ。上着を着ないで一日歩いたらやはり寒かった。が、地下鉄や室内は暑いのだ。どうしたものか。


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