東方への旅 >> ベルリン(4)

2009.11.19(木)

ベルリン Berlin

ホテルをチェックアウトし、曇天の下を駅へ向かった。
中央駅で乗り換えるついでにクロークに荷物を預けて、まずはフリードリヒシュトラーセ駅で下車する。


涙の宮殿


現在は飲食店が立ち並びたいへん賑やかな通りだが、かつてこの駅は東西の境目にあった。その名残というべき建物が駅の北側に残っている。通称「涙の宮殿」、国境検問所である。東西に引き裂かれた親族や友人同士が別れの抱擁を交わした場所だ。しかし周辺は工事中で近づくことはできない。


Trains to Life


Trains to Death

駅前には銅像が立っていた。キンダートランスポートによって国外へ逃れた子供たちを記念する「Trains to Life 生への列車」、そして東方へ移送された子供たちを悼む「Trains to Death 死への列車」、二通りの像が背中合わせに立っている。

ウンター・デン・リンデンに出て、ブランデンブルク門方面へ歩く。
華やかとはいえないが清潔な通りだ。目立つゴミも落ちていない。
ドイツ人の清潔好きは国民性ネタの定番で、日本でも「ドイツ人に学ぶ」掃除本が刊行されているほどだ。
戦中・戦後のベルリンで日記を綴っていたある匿名女性は、瓦礫の山をこつこつと片付けるベルリン市民の様子を記録している。ソ連軍支配下の強制労働では、ソ連軍の段取りの悪さにいらつくドイツ人女性のこんな言葉が書き留められた。
「何であんな連中が戦争に勝てたのか、私には納得できない。ドイツの小学生にだって分かることが分かんないのよ」
この女性はまた、ナチスが強制収容所で入所者の記録をきっちり残していたことにもふれ「私たちは本当にきちんとした民族なのだ」と呆れたように記した。

■ユダヤ人犠牲者博物館 Denkmal für die ermordeten Juden Europas

2005年に設立されたばかりの新しい記念碑兼博物館。
迷路のような石柱の間を子供たちがはしりまわっていた。写真をとっていると、スカーフをかぶった女性がCan you speak english?と話しかけてくる。物乞いのようだ。
資料館は地下にある。入館前にセキュリティチェックがあった。反ユダヤ主義を警戒しているのだろうか。パンフレットは各国語のものが揃っており、日本語版もある。


ナチスの台頭とユダヤ人の迫害の歴史が順を追って紹介されている。ユダヤ人男性と交際していたドイツ人女性が「ドイツ人の血を汚した」罪で首からプラカードを下げさせられ、恋人と一緒に街を引き回されている写真。女性が腕で顔を庇うようにしているのに対し、男性のほうはまっすぐ頭を上げてカメラのほうを見ている。写真がぼんやりしていることもあって、その表情からは何の感情も読みとれない。この二人は無事に戦後を迎えることができたのだろうか。

 

家族の展示。幸せそうな家族の写真が並んでいる。多くは結婚式などに一族が集まったときのものだ。その横に、写真に写る人々のたどった運命が記されている。
ガス殺、銃殺、銃殺、ガス殺、潜伏して生存、銃殺……
犠牲を出していない家は一つとしてない。中には皆殺しにされた家もある。「絶滅」政策という言葉の持つ意味をあらためて思い知らされる。

その奥の部屋では虐殺されたユダヤ人一人ひとりの名前と、分かる限りのプロフィールを読み上げていた。同時にその名前、生没年などが壁に映し出される。すべて読み上げるまでには6年7か月27日かかるという。

屋外展示はドイツ人好みのシンプルで垢抜けたインスタレーションで、抽象的に過ぎる気もするが、おそらく内部の展示以上に強烈な印象を与える。
波打った石畳の上に、墓石のようにも、棺のようにも、また建物のようにも見える2,711個の石柱が規則的に立ち並んでいる。中心部に行くほど地面は低く、石柱は高くなっていき、最奥部では背丈をはるかに越えるほどになる。ここまで来ると光もあまり射し込まない。強い圧迫感を覚えた。

■ヒトラーの官邸跡

記念館から南下するとヒトラーの官邸跡がある。といっても何も残っていない。駐車場の片隅に案内板があるだけ。

■チェックポイント・チャーリー Checkpoint Charlie


さらに少し歩くと今やベルリン有数の観光地となったチェックポイント・チャーリーにぶつかる。ベルリンが分断されていたころ、東西境界線上に置かれていた国境検問所の跡地だ。
観光客に混ざって、東独グッズを売るおじさんや、記念撮影用に米国軍人の格好をしたお兄さんが立っていた。平和な冷戦後の光景である。


■テロのトポグラフィー Gedenkstätte Topographie des Terrors


SSとゲシュタポの本部が置かれていた場所。目下資料館を建設中のようで、大規模な工事が行われていた。
戦中当時の建物は何も残っていないが、レンガの礎石が確認できる。その上にパネルを設置し、屋外展示を行っている。

敷地の隅にベルリンの壁の一部が残っていた。ぺらぺらに薄い。物理的には薄くとも、越えられない厚さを持っていた壁だ。

■ユダヤ博物館 Jüdisches Museum Berlin

ここでも厳重な荷物チェックがあった。バッグの中にスプレーが入っているが見せてくれと聞かれ。スプレー?としばし考え込む。バッグの底をあさると日本でインフルエンザ対策として使っていたアルコール消毒液「きれいな手」が出て来た。

これでもかというほどの充実した展示で、古代からのユダヤ人の歴史を学べるようになっている。ユダヤ人犠牲博物館と違い、ここではホロコーストはユダヤ人の歴史の一部にすぎない。それでも「亡命の庭」は平衡感覚を失わせるようにできているし、真っ暗な「ホロコーストの塔」など、どことなく陰惨な展示も多い。


ユダヤ教で神聖なものとされる柘榴の木。
柘榴の実の形をしたカードに願い事を
書いて吊るすことができる


 「ダヴィデの星」のデッドストック(!)




アンネ・フランク関係の展示

展示室の片隅に小さな機械があった。「モーゼス・メンデルスゾーンのコインを作ろう! 5セント硬貨を入れて下さい」とある。ポケットを探ると5セントコインが出て来たので、差し込んでハンドルを回す。最初は調子よく回していたが、だんだんハンドルが重くなってくる。難儀していると、非力なアジアの子供を哀れんだのか、通りすがりのドイツ人のおばさんが「どれ、かしてごらん」とヒョイヒョイとハンドルを回してくれた。
ガチャンと音がしてコインが転がり落ちた。おばさんとふたり、手にとってしげしげ眺める。5セントコインは見事に楕円形の記念コインに変身していた。


特別展示室の奥に人の顔をした金属プレートの敷き詰められた部屋があった。踏みしめると耳障りな音がする。これも陰惨な展示である。


見学後は博物館のカフェで一休みした。ファラフェルなどユダヤ料理が食べられるようだが、私はチョコレートケーキとコーヒーを注文した。
売店では書籍やユダヤ風のアクセサリー、フロイトやアインシュタイングッズまで幅広く扱っていた。

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