東方への旅 >> クラクフ(4) 2009.11.22(日)クラクフ Kraków昨日の疲れが残っていたのと、今日で旅行が終わってしまうという悲しみから、なかなかベッドから起き上がることができなかった。 ■シンドラーの工場シンドラーの工場はヴィスワ川を挟んでカジミェシュ地区の向かい、Lipowa通り4番地にあるという。 シンドラーは決して聖人君子ではなく、むしろ享楽的で欠陥の多い人物であったという。ユダヤ人を雇用したのも、もともとは労働力の安さにひかれただけだったと言われているが、彼がユダヤ人工員に対して一度たりとも非道な行いをしなかったこと、工場の閉鎖後、強制収容所に移送された工員たちを救い出そうと努力したことは事実である。 今回の私の旅は「人道に対する罪」を目の当たりにしつづけるものだったが、最後にこの場所に来たことでいくぶん気持ちが軽くなるのを感じた。 ■カジミェシュ地区 Kazimierzヴィスワ川を歩いて渡り、ユダヤ人街として知られるカジミェシュ地区を訪ねた。この地区の歴史は古く、14世紀ポーランドの王カジミェシュ3世「大王」がユダヤ難民を受け入れたことに始まる。古い町並みには至るところに過去の痕跡が見られた。 ■スタラシナゴーグ Synagpga Staraカジミェシュ地区最古のシナゴーグ。 スタラシナゴーグのある広場には、アリエルとかエステルとか、旧約聖書の人名がついたレストランが並んでいた。
■レーム・シナゴーグ Remuh Synagoga通り沿いの長い塀の途中にガラス貼りの窓があり、ふと中を覗くと墓石が並んでいるのが見えた。シナゴーグに付属したユダヤ人墓地のようだ。 キッパ(ユダヤ教徒のかぶる小さな帽子)をかぶった男の人が楽しそうに祭壇の写真を撮っていた。 墓地でもやはりキッパをかぶった一団がガイドの説明を聞いていた。 よく見ると、苔むし、なかば崩れかかったような墓もたくさんある。戦前クラクフには7万人弱のユダヤ人がいたが、ゲットーへの収容や移送を経て、現在は200人ほどしか住んでいないらしい。縁者が死に絶えてしまったものも少なくないのかもしれない。
ゼーバルトの小説の一節を思い出し(この小説の舞台はドイツだが)、ほんのつかの間ではあるが、ついに墓を持ちえなかった無数の死者の姿を、古い墓石の背後に幻視したように思った。
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クラクフの街ももう見納め。名残を惜しみながら徒歩で市中心部へ戻る。
ホテルをチェックアウトし、荷物だけ預かってもらって再び街へ出た。
プレッツェルを食べ歩きながら店をひやかす。無防備なようだが、所持金は500円程度なので何も怖いものはない。
中央市場広場は多くの人で賑わっていた。
パフォーマーがたくさんいる。犬をつれたギターのお兄さん、アコーディオンを弾きながら民族歌謡のようなものをいい声で歌っているお兄さん、マイケルの操り人形を動かして喝采を浴びる人もいる。
鳩の大群がいっせいに飛び立ち、親子連れやカップルが楽しそうに悲鳴を上げる。
戦争は終わった。冷戦も終わった。平和なんだ、今だけのことかもしれないけれど。
電車の切符を買ってから、ガレリアのカルフールでWedelのチョコレートとハルヴァ、ジュレックとバルシチの素を購入。最後にキオスクでオレンジジュースを買ったら、ズウォーティはほとんど使い切った。
クラクフ中央駅 |
バリツェ・エクスプレス |
荷物を受け取り駅へ向かう。荷物を引きずりながら通路を歩いていた時、無数にある行き先表示の中にLublinの文字を見つけてふと足が止まった。ルブリン、マイダネク。アウシュヴィッツに次ぐ規模の絶滅収容所があった所。でも、今回はもう行けない。
13:30のバリツェエクスプレスに乗り込んだ。エクスプレスとは名ばかりのトラムみたいな二両編成の電車だ。スピードも遅い。そのうち、ただの道端みたいなところで下ろされた。空港らしい建物も見えず不安になりながら降りると、眼の前にバスが来ていて、みんなそれに乗り込んでいく。見れば車体にShuttle bus to airport fee freeの文字。空港駅といっても空港には直結していないようだ。
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