滯西日記  2005.9.22~10.2

■日程

2005.9.22(木)

成田→

2005.9.23(金)

パリ→マドリッド(空港)マドリッド(市内)

2005.9.24(土)

トレド(1)(2)

2005.9.25(日)

ブルゴス(1)(2)

2005.9.26(月)

セゴビア

2005.9.27(火)

メディナ・デル・カンポ バリャドリッド トルデシーリャス

2005.9.28(水)

グラナダ(1)

2005.9.29(木)

グラナダ(2)(3)

2005.9.30(金)

マラガ

2005.10.1(土)

マラガ→パリ→

2005.10.2(日)

→成田

◇参考文献など
写真:ブルゴスのカテドラル

■旅の目的

トラスタマラ朝最盛期の王にして、事実上最後の王となったイサベル1世。
その二女で皇帝カール5世の母でありながら、狂女と渾名され49年間に渡る幽閉生活を送ったフアナ1世。
これら二人の女王に関心を抱く私にとって、スペインはそれこそ十年以上前からの眷恋の地であった。ネックとなっていたのは、伝え聞く治安の悪さと言葉の壁…。
不安を振り払って旅行を決意した、その直接のきっかけは、今年の四月、数年ぶりにイサベル1世の伝記を読み返したことだった。
それ以外にもネット上で目にした様々なスペイン旅行記に背中を押され、「スペインごときでびびっていたら、南アジアや中南米には一生行けないぞ」と友人たちからけしかけられたこともあり、
「このまま待っていたところで治安が良くなるわけでもないわ。悪くなることはあっても。どうせなら、体力があるうちに行ってしまえ!」
そう腹を括ったのだった。

■航空会社など

日本からスペインまでは直行便がないので、他のヨーロッパの都市を経由して行くことになる。アリタリア、KLM、BA、ルフトハンザなどなど選択肢はたくさん。ただ、ほとんどが日本を昼頃に出発し、夜遅くに現地に到着する便だ。強盗が跋扈する町マドリッドに深夜に到着するなんて想像するだけで身の毛もよだつ。
そこでひらめいたのがエールフランスの夜便を利用すること。21:55に成田を出発し、翌日4:55にパリに到着する便があるのだ。これを利用すると、パリで乗り継いでマドリッドには朝の9時過ぎに到着することができる。
こうして行きの便は決まった。次の問題は、帰りの便にどこから乗るか?ということだった。
今回の計画はスペイン北部カスティーリャ・イ・レオンでイサベル&フアナゆかりの各都市をまわった後、南下してグラナダで二人のお墓参りをする、というもの。グラナダにも空港はあるが、小さな地方空港らしく、国際線の発着便数は限られている。かといって最終日にもう一度マドリッドまで戻るとなると移動に一日費やすことになってしまい、時間が(お金も)非常にもったいない。
悩んでいると、友人から一通のメールが。
「アンダルシアなら、マラガからエール・フランスが就航してるよ。グラナダからはバスで二時間足らずだし、最後にマラガ観光して帰るのはどうかしら」
それだ!!!! GJ友人。これで航空会社の問題は解決。速攻で航空券をおさえた。

スペイン国内の移動は鉄道とバスを利用した。
鉄道会社はもちろんバス会社もほとんどがサイトを開設しており、時刻や料金を簡単に検索できる。便利。

■人名・地名表記について

今回も基本的には慣用表記に従っています。
スペイン人の名前はスペイン語で統一したつもりですが、管理人はスペイン語ほとんど分かりませんので、おかしな所があるやもしれません。お気づきの点はご指摘いただけると嬉しいです。


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