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2005.9.28(水)

グラナダ Granada

¡Levanta, Pascual, levanta!
Aballemos a Granada,
que se suera qu'es tomada.

¡Levanta toste priado!
Toma tu perro y currón
tu çamarra y çamarrón,
tus albogues y cayado.
¡Levanta, Pascual!──Juan del Encina

ALSAのバスでバリャドリッドからマドリッドへ。
「早く着くから」というそれだけの理由でClase Supraにしたのだが、実に快適だった。
座席は広々。飛行機と同じように、乗務員のお姉さんによる飲み物とお菓子のサービスがある。おみやげとしてALSAのロゴが入った三徳ナイフのようなものもくれた。
11:20頃マドリッド着。11:30発のContinental Auto社のバスに乗換えてグラナダへ向かう。グラナダまでには16:30着の予定。
夜行を利用すれば効率がよいことは分かっていたのだが、観光時間削ってまであえて昼間の移動を選んだ訳はただひとつ。夜のマドリッドなんて怖いじゃないか。臆病者と笑はば笑へ。
今度はごく普通のバスだった。当然、飲食物のサービスもなし。

バスはラ・マンチャの平原を疾走し、約二時間ののちにカサ・マルコスというバル兼オスタルのような所で停まった。ここで約30分の休憩をとる。
バルで買ったジュースはすぐに飲んでしまい、その後は焼けつくような駐車場の片隅に腰を下ろして、茫漠たる風景をただぼんやり眺めていた。
走り出してまもなく、アンダルシア自治州に入った。これまでの平原から一変して、深い山合いの道をバスは分け入っていく。
今でこそ道路が開通して快適な旅行ができるけれども、昔はさぞかし難所だったと思われる。追い剥ぎも出ただろうし、道に迷って行き倒れることもあっただろう。サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指した民衆や、旅芸人のように宮廷を転々と移しながらイスラム勢力と戦った王侯貴族にとって、旅は命がけだったはずだ。
イサベル女王とその家族も馬や徒歩でこの峠を越え、レコンキスタを成し遂げたのだ。ちょっと想像しがたいほどの執念ではある。
車内では映画の上映が始まっていた。どうせスペイン語分からないし、と景色を眺めていたが、ふと見るとオルセン姉妹が出ている。どうやら「ニューヨーク・ミニット」という映画のようだ。アクションコメディなので映像だけでも十分筋を追える。
映画が終わるのとほぼ同時に、グラナダのバスターミナルに到着した。タクシーを拾ってHotel Navasへ向かう。

イサベル1世とコロンブスの像
(イサベル・ラ・カトリカ広場)



ホテルは細い道をやや入った所にあるので、少し離れた所に降ろしてもらってヨタヨタ荷物を引きずって行く。
呼び鈴を押してドアを開けてもらうシステム。
フロントのお姉さんは観光客馴れしている様子で、こちらが何も言わないうちからグラナダの地図を出してくれ、アルハンブラバスの乗り場まで教えてくれた。
6時間ぶっとおしでバスに揺られてさすがに疲れたのでしばしベッドでごろごろしていたが、まだ日も高い。とりあえずお墓参りに行こう!と思い立つ。
出かけるついでにフロント貴重品を預けてしまうつもりで、いつものように封筒に入れて封をしたものを持っていくと、「ここでは預かれない。部屋の中に金庫があるからそれを使え」と断られる。えええー。どうしても駄目だというので、すごすごと部屋へ。
金庫はクローゼットの中にあった。一応暗証番号式だが、床に据え付けられていないのでその気になれば簡単に持ち出せそうだ。ちょっと心配……。
暗証番号を押してから、すべての番号ボタンをまんべんなく触って指紋をつけた。金庫の上から予備の毛布を掛けて外に出る。

■王室礼拝堂 Capilla Real

公式サイト(音声が出ます。注意)

チケット売場を兼ねたホールには、プラディーリャの『グラナダ陥落』(レプリカ)が飾られていた。キリスト教徒軍の前に膝を屈したナスル朝最後の王ボアブディルが、征服者であるカトリック両王にグラナダ市とアルハンブラ宮殿の鍵を渡す場面が描かれている。


La Rendicion de Granada (1882)
Francisco Pradilla Ortiz

グラナダ陥落
フランシスコ・プラディーリャ・オルティス

※クリックで拡大します


ボアブディル王は馬から降りて、王と女王の手に(臣下の証である)接吻を送ろうとした。しかしフェルナンド王がそれを制止されたので、モーロ人の王はカトリック王の腕に(馬上から)接吻し、カトリック王はモーロ人の王を抱擁された。
モーロ人の王は手にした大きな鍵に接吻し、こう言った。
「陛下、これは陛下のアルハンブラ宮殿とグラナーダ市の鍵です。お受け下さい」
そしてその鍵を渡した。フェルナンド王はそれを受け取り、女王に言われた。
「貴女のグラナーダ市の鍵を受けなさい。城代に渡すよう」
女王は王に敬礼して言われた。
「総ては陛下のものです」
そして王子を振り向いて言われた。
「貴男の街と宮殿の鍵です。グラナーダの城代となるべき者に、父王の名で下賜するように」
それから王子は女王の手に接吻し、テンディーリャ侯爵を呼ばれた。急ぎ馬から降り、跪く侯爵に王子は言われた。
「王、女王、そしてここに集まる総ての人々は、貴男にグラナーダとアルハンブラ宮殿の保持を任ずる」
──小西章子『スペイン女王イサベルの栄光と悲劇』pp126-127(鎌倉書房)

その下には、イサベル女王の各時代の肖像画のレプリカ。グラナダを陥落させたのは「カトリック両王」なのに、夫のフェルナンドの存在感は限りなく薄い。
トレドやセゴビア、メディナ・デル・カンポでもイサベル人気は実感したけれど、それはカスティーリャ地方の町だからだと思っていた。
もっとも、どこの国でも女性の君主は人気が高くなる傾向があるようだ。特にカトリックの国ではマリア崇拝と結びつきやすいのかもしれない。女房に食われた格好になったフェルナンドには気の毒だが、アラゴンに行けば少しは違うのだろうか……。

さらに奥に進むと、正面にキンキラキンの祭壇がある。聖母を中心に、イサベル女王が深く帰依したという二人の聖ヨハネ(洗礼者と福音記者)の生涯が表現され、両側には跪くカトリック両王の像や、グラナダ入城を現した浮き彫りが施されている。
祭壇の前には、装飾された鉄柵に囲まれて、大理石の寝像が二組ずつ並んでいる。右がイサベルとフェルナンド、左がフアナとフィリップ美公だ。娘夫妻の方が両親の寝像よりも一段高いのは、フィリップが神聖ローマ皇帝の息子だからだという。
イサベルとフェルナンドは実際の死亡年齢に近い初老の姿だが、76歳で亡くなったフアナは若く美しい姿で彫られている。28歳で死んだ夫にあわせたのだろう。
これら4人の像はそれぞればらばらの方向を向いている。
カスティーリャ、レオン、アラゴン、フランドル、そして新大陸。彼らの治めた大スペイン世界の広大さと多様さを現しているのだとか。しかし私には、決して円満な夫婦とは言えなかったフアナとフィリップが死してなお顔を背けあっているように思え、少し悲しかった。

寝像と中央祭壇の間には地下墓所への入り口がある。
短い階段を降りると、ガラスと鉄柵越しに五つの棺が見えた。私の前にいた女性が、感に堪えない様子で「Very simple, very nice」と呟いた。
地上の豪華な寝像に比べるとあまりに簡素な黒い鉛の柩。質素な墓所を望んだイサベルの希望に添ったものである。
女王の栄光がそれを許さず、地上の柩はあのように華麗なものになったが、とにかくも地下墓所だけは彼女の望んだとおりになった。
一番小さな柩は、イサベル女王の同名の長女イサベルがポルトガル王マヌエルとの間に産んだミゲル王子のもの。長男と長女を立て続けに亡くしたイサベル女王はこの孫に期待をかけたが、2歳で夭折した。
彼が無事成長していればハプスブルク家に王冠が渡ることはなく、一人の王のもとにイベリア半島がほぼ統一されていたことになる。
通路が狭いので、あまり長居はできない。ぽつぽつ人が降りてくるので、後ろ髪を引かれながらも地上に戻った。

宝物室にはイサベル女王の十字架や王錫、王冠が展示されている。
王冠は近代以降のものに比べるとシンプルなつくりで、ところどころ摩耗しているのが500年の星霜を感じさせる。
カルロス1世が持ち込んだのか、ファン・デル・ウェイデンやメムリンクなどフランドル美術の巨匠たちの絵もあった。

■カテドラル Catedral

続けて王室礼拝堂に隣接したカテドラルへ。

カルロス1世の時代に着工されたもの。さすがに立派な建物ではあるけれど、新しすぎるせいか、王室礼拝堂に比べると印象が弱い。様式はバロックだろうか。
椅子に座ってガイドブックを開く。ルネサンス、バロック、ムデハルなど色々な様式が混ざっているようだ。
どっちにしろあまり萌えないなあと思いながら立ち上がった時、足もとからガコン!!とものすごい音がした。周囲の観光客が驚いて振り返る。
うわーーー! 膝の上にカメラ乗せてたの忘れてた!!!
あわてて拾い上げて電源を入れてみる。……入った。しかし、入ったきり切れない。電池カバーを開けると切れる。

ふたたび電源を入れようとすると、今度はウンともスンとも動かない。まずい。明日はアルハンブラ観光が控えているというのに。
試行錯誤の末、電池カバーを開けて電池を入れ直すと電源が入り、もう一度電池カバーを開けると切れることが判明。

とにかく一度電源さえ入ってしまえば撮影、ズーム、フラッシュ、画像管理などの基本動作は問題なく行えるようなので、あと2日これでなんとか通すことにした。
電池カバーを開けるたびにいちいち日付設定がリセットされてしまうのが鬱陶しいが仕方ない。
データが消えなかったのが不幸中の幸いだった。

壊れたカメラと重い心を抱えて、大聖堂のまわりのごちゃごちゃした通りを徘徊する。
路地の両側にはイスラム風の装飾品を売る店が並び、路上で売られている香辛料の匂いが漂って、昨日まで滞在したカスティーリャ・イ・レオンの町とはあきらかに雰囲気が違う。アフリカ系の人の姿も多い。
なぜか毛糸を売る店がたくさん目についた。

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