HOME
TOP 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16

2005.9.29(木)

グラナダ Granada(二日目)

Paseábase el Rey Moro
por la ciudad de Granada,
Cartas le fueron venidas
como Alhama era ganada.
¡Ay, de mi Alhama!
Paseábase el Rey Moro──Luys de Narváez

■アルハンブラ Palacio de Alhambra

公式サイト

朝食を取りに行ったらおよそ9割が日本人だった。でも一人客は私だけ。もくもくと食事を終え、アルハンブラへ向けて出発。
今まで毎日厚着をしすぎて失敗していたので、今日こそはと張り切って薄いカットソー一枚で外出したのだが、すごく寒い。そのうち暑くなるはず、と自分に言い聞かせる。町行く人の服装は、革のジャケットを着込んでる人もあれば半袖Tシャツの人もあり(それはさすがに寒いだろう)と多種多様。

アルハンブラまでは、ヌエバ広場からアルハンブラバスの32番に乗った。
そのまま柘榴の門や裁きの門を通過する。ちょっと自分の足で登ってみたかった気もする。
当日券売場はすでに長蛇の列だったが、日本でネット予約を済ませていた私はすんなり予約済み窓口へ。予約番号と名前を言って、チケットと引替えてもらうだけ。ほほ。
メインのナスル朝宮殿(ライオンの中庭がある、アルハンブラ観光のメイン)だけ入場時間が決められていて、私は13時〜13時30分までの組。
宮殿の中心部に続く道を歩いていると、やっと日が射してきた。
道の右側の庭園は修復の最中らしく、造園業者の人々が庭木を刈ったりしている。朝早くからご苦労様です。
少し歩くと、パラドールの前に出る。大人気でかなり早くから予約をしないと泊まれないらしい。ここはもとフランチェスコ会の修道院で、カルロス1世の時代に王室礼拝堂が完成するまで、イサベル女王の遺体が葬られていた場所でもある。
王宮前の広場には猫がたくさん日向ぼっこしていた。アルハンブラ内で繁殖しているのか、仔猫も何匹かいる。観光客に餌付けされているようで、近づいても逃げない。

アルハンブラのねこたち。

《アルカサバ》

まずは「葡萄酒の門」をくぐってアルカサバへ。
アルハンブラの最も古い部分。かつては20もの塔と兵舎があったそうだが、今は土台だけが整然と残っている。
アルハンブラの中で最も高いベラの塔に登ると、足もとにちょうど船の舳先のような具合でアルハンブラの南端部分が見え、その下にグラナダ市街が広がる。
北には白壁の町並で有名なアルバイシン地区とサクロモンテの丘が朝日を受けている。


アルカサバ


ベラの塔からの眺め

《カルロス5世宮殿》

新婚旅行でアルハンブラを訪れ、その豪奢に衝撃を受けたカルロス1世(皇帝カール5世=スペイン語ではカルロス5世)が、イスラム文化に対抗すべく建設した。というのだが、結果として見事に調和をぶち壊している。
この醜悪な建物のために多くのイスラム建築が潰されたとは恨めしい。

ところで、世界史では「スペイン王としてはカルロス1世、神聖ローマ皇帝としてはカール5世」と習ったものだが、スペインに来てみればどこにいってもカルロス・キントと呼ばれているのだった。

国王であるよりも皇帝として遇されているということか。
他のカルロスとごっちゃにならないのかなあと思うけど、カルロスは4世までしかいないからいいのだろうか。

回廊をぐるりと回ってみたが、単調な印象で特に感動はない。
一画はイスラム博物館になっていて、ライオン像やコーランなどが展示されていた。


カルロス5世宮殿から出てくると、ベンチのそばでいぬが寝転んでいた。
アンダルシアの犬……。
話しかけると一瞬目を開けてこちらを見たが、また寝てしまう。年を取っているのか肋がごつごつと浮き出て、動きも緩慢だ。
頭をなでていると後ろから声をかけられた。
「いぬ」
振り向くと杖をついたおじいさん。
「Japan、いぬ。españolでは、perro」
「ペ、ペルロ」
私は巻き舌ができない。
フラメンコのギタリストだという彼は公演で日本を訪れたことがあるそうで、東京、大阪、京都、奈良、岡山、仙台、北海道と次々に地名を挙げる。
「銀座の夜、とても高い。北海道はグラナダの冬と同じ、寒い。高輪プリンスホテルはとても高い」
片言の日本語で話し、
「アルハンブラの近くではジプシーが花を売っているが、買ってはいけない。彼らはとても悪い」
そう忠告をくれて去っていった。

《ヘネラリフェ》

夏の離宮。といっても歩いて五分ほどの距離にある。
数百メートルの移動では避暑の効果はほとんどなかったのではないかと思われるが、噴水がふんだんに使われていて涼しげなのが夏向きなのだろうか。しかし観光客が多い。(←オマエもな)

ヘネラリフェから戻る道すがら土産物屋を冷やかしていると、目の前を花嫁花婿が腕を組んで通りすぎていく。アルハンブラの中に結婚式をあげられる場所があるのだろうか。
アラブ系のカップルだったのがなんだかいい感じだった。
そうこうしているうちにいよいよ13時になったので、真打ちナスル朝宮殿へ。

《ナスル朝宮殿》

中世から近世にかけて、キリスト教世界よりもはるかに進んだ文明を誇ったグラナダ王国。その技術の粋を集めて建築されたアルハンブラは、歴代カスティーリャ国王の羨望と嫉妬を一身に受けてきた。レコンキスタ完遂を目指したイサベルとフェルナンドにとってもどうしても手に入れたい戦利品だったに違いない。
グラナダが陥落し、コロンブスが新大陸に到達したこの1492年という年は、間違いなくカトリック両王の絶頂期だった。
イスラム教徒たちが立ち去った後、アルハンブラ宮殿内に一歩足を踏み入れたフェルナンド王は「これらのすべて失ったとは、ボアブディルはなんと不幸な男だ」と嘆息したという。


アラヤネスの中庭

山川の世界史教科書にも載っていたライオンの中庭は、ロープが張り巡らされて噴水のそばには近づけない。その周囲を大勢の観光客がゾロゾロと列をつくって歩いていくのがいかにも俗化した観光地と言った感じで、自分を棚に上げて言うのもなんだがやや興ざめであった。


ライオンの中庭

19世紀のはじめにワシントン・アーヴィングが訪れた頃のアルハンブラは、すっかり荒廃して浮浪者の住み処となっていた。
この時書かれたのが『アルハンブラ物語』で、この本のヒットがきっかけになってアルハンブラの修復作業が始まったのだが、なんだかローデンバックの『死都ブリュージュ』がブルージュの大観光地化に寄与してしまった経緯に似ている。
荒れ果てていた頃のアルハンブラに来てみたかったと思った。
干涸びた泉、埃に曇ったタイル、仄暗い空間に浮き上がる鍾乳石飾り、それらをできれば月の明るい夜にでも見てみたかった。まさに昔の光いまいづこ、さぞかしもののあはれを感じさせたであろうに。俳句の一つも詠みたくなったであろうに。

《二姉妹の間》


この部屋に入った観光客は、みな一様に立ち止まり、ぽかんと口をあけて天井を見上げる。
しかし、蜂の巣のような鍾乳石飾りが隙間なく施された壁面は綺麗というよりはちょっとキモイ。
空間恐怖症的なのはカトリックの教会や宮殿でも同じだが、具象が禁じられているイスラムではひたすら抽象を極める方向に行くからより精緻な印象になる。

意味深長な名前の由来は、床に使われているふたつの大きな大理石から。美しい二姉妹がいたわけではないそうでちょっと残念。
全体に繊細・優美な印象の強いアルハンブラの中でも、ライオンの中庭周辺の部屋部屋はきわだって女性的で、ハーレムだったのではないかと言われるのもうなずける。
ここにグラナダの寵姫たちが……としばし妄想にふける私。


二連窓

《パルタル宮》

狭い通路を通ってしばらく歩くと、パルタル庭園に出る。アルハンブラ最古の宮殿とのことだが、度重なる修復で当時の面影は失われてしまっている。

帰りはヌエバ広場まで歩くことにした。切符売り場のある広場から、裁きの門の横を通って石榴の門に至るこの道は、ちょっとした遊歩道のようになっている。
側溝にはアルハンブラから降りてくる水がせせらぎとなって流れている。森の香りが満ちている中を歩くのは気持ち良かった。

《裁きの門》

王宮前の広場に直結する門。
二重の馬蹄型アーチの外側には右手が、内側には鍵が描かれ、この手が伸びて鍵を掴むとき、塔が崩れて地下からモーロの財宝が現れるという伝説が残っている。
「鍵」の上には、レコンキスタ後に追加された聖母子像が祀られている。
このすぐ側に、カルロス1世の時代につくられたルネサンス風の噴水があるのだが、やはり大変趣味悪く見える。

《柘榴の門》

「グラナダ」は柘榴を意味する。
カトリック両王の末娘カタリーナはこの町をこよなく愛し、英国王太子に嫁ぐ際には自らの紋章として柘榴を選んだ。柘榴は多産・豊饒の象徴でもあった。
皮肉にも数十年後、カタリーナは男子を産むことができなかったことを理由に夫ヘンリー8世から離婚を言い渡されている。

カタリーナ(キャサリン・オブ・アラゴン)
Catherine of Aragon
Michel Sittow


金髪、下ぶくれの頬、やや腫れぼったい目元に母イサベルの面影があるように思う。
次姉のフアナとはあまり似ていない。




カタリーナの紋章


この門はカルロス1世とイサベル妃の新婚旅行に際して建設されたもので、アルハンブラ関係の建造物の中では新しい部類に入る。ゴメレス坂もこの頃に切り拓かれたものだ。今では狭い通り沿いに土産物屋が立ち並んでいる。シエスタに入る頃だったが、軒並営業中だった。稼ぎ時なのだろうか。
昼食をとるためにヌエバ広場の観光客向けのバルに入った。
テラス席からは、先ほど登ったベラの塔がよく見えた。


柘榴の門

<<<前のページ  次のページ>>>


SEO [PR] カード比較  冷え対策 温泉宿 動画無料レンタルサーバー SEO