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2005.9.25(日)

ブルゴス Burgos

Mille regretz de vous habandonner
Et d'eslonger vostre fache amoureuse.
J'ay si grand deuil et paine douloureuse
Qu'on me vera brief mes jours definer.
 Mille regretz

8:00過ぎにホテルをチェックアウトし、タクシーでアベニーダ・デ・アメリカのバスターミナルへ向かう。
日曜日、特に早朝や深夜のバスターミナルにはドロボウさんが多いと聞いてびびっていた(毎日びびってるな私)のだが、ここは昨日利用した南バスターミナルにくらべるとだいぶ規模が小さく、警備員が常時数人で巡回していたので安心感があった。
窓口にて、9:00発ブルゴス行きのチケットを無事購入。
発着所へ行ってみるとそれらしきバスが止まっていたが、行先表示が微妙に違う…。念のため、列に並んでいたおばさまに聞くとこれでよいというのでひと安心。
そうこうしているうちにバスの両側の荷物入れが開いて、乗客たちが荷物を入れ始める。
スーツケースをうりゃうりゃと押しこんでいると、先程のおばさまが「違う違う、ブルゴスは反対側よ」と教えてくれた。停車する場所によって荷物を入れる場所が変わってくるのか。それにしてもなんと親切な人であろうか。旅先でこういう人に出会うたび「私も日本で異国の人が困っていたら親切にしよう」との決意を新たにし、日々実践中である。

割り当てられた席は最前列だった。窓が大きいから、景色がよく見えるだろう。わくわく。
私の後ろには、若い日本人男性二人組が座っている。会話に聴き耳を立ててみたところ、どうやらサッカー観戦に行く人々のようだ。
歴史オタクの私と違い今を生きている彼らなのね。ふっ

マドリッドから遠ざかるにつれてだんだん建物が少なくなっていき、あとは荒野。ひたすら荒野。荒野にしておくしかないような土地だ。
石のごろごろした茶色の大地。その向こうに切り立った岩山が見える。
フランドルからやってきたフアナ女王の夫、フィリップ美公が、「こんな国は嫌だ」と言って帰りたがった気持ちが分かる気がする。
フロントガラスの上に表示された外気温がみるみるうちに下がっていく。

12時少し前にブルゴスのバスターミナルに到着した。
スーツケースをひきずって近くのHotel Tryp Fernan Gonzalezにチェックイン。豪華な感じのホテルで、ロビーには本物のアンティークとおぼしき聖人像が飾られている。
部屋も広い。一人なのにベッドはふたつ。どっちに寝よう。

貴重品をフロントに預けて、さっそくブルゴス探検へ繰り出す。
アルランソン川に沿って開けたブルゴスは、想像していたよりもずっと美しい町だった。荒野を見てきただけに、街路樹や川沿いに植えられた柳の緑がいっそうみずみずしく思われる。
きれいに整備された道を、観光客や地元の親子連れがニコニコ雑談を交わしながら歩いている。マドリッドにあったようなピリピリした雰囲気もなく、のどかな感じ。治安も心配なさそうだ。
とはいえ、のんびりしてはいられない。日曜なので、主な観光スポットは早目に閉まってしまうのだ。
こんな日にわざわざブルゴス観光をあてたのには理由があった。ここブルゴスのカサ・デル・コルドンでフィリップ美公が亡くなったのが1506年9月25日。つまり、499年前の今日なのだ。一年遅ければちょうど500周年だったんだけど。
まずはタクシーに乗り、14:00までで閉まってしまう王立ラス・ウエルガス修道院へ向かった。

■ラス・ウエルガス修道院 Monasterio de las Huelgas


古楽ファンの聖地

公式サイト

ラス・ウエルガスの名は、古楽好きなら一度は耳にしたことがあるだろう。1187年に国王アルフォンソ8世によって設立されたこの修道院はサンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の途上にあり、長い期間に渡ってヨーロッパ各地から様々な音楽が伝えられた。こうしてもたらされた聖歌を14世紀に集成・編纂した歌曲集、通称「ラス・ウエルガスの写本」はあまりにも有名だ。
実は、日本で手に入らないような音源が売られてないかしら?!とひそかに期待していたりもしたのだが、チケット売場に併設された売店には普通のおみやげ品がならぶのみであった。本場なのに。中にはCDも何枚かあったが、なぜか「フェリペ5世時代の宮廷音楽」なんてのが売られてる。
見学は20人くらいで一組になって行なう。ただし解説はスペイン語のみ。固有名詞を聴き取ることにひたすら全神経を集中させますよ。

ラス・ウエルガスはカスティーリャ王家の古い霊廟である。
アルフォンソ11世やエンリケ2世(エンリケ・デ・トラスタマラ)が戴冠式を行った場所としても知られる。
礼拝堂には修道院の創設者アルフォンソ8世と妃レオノール(英国王ヘンリー2世と「冬のライオン」アリエノール・ダキテーヌの娘)を中心に、王家の人々の柩が並ぶ。夫妻の柩に向かって右側、入り口の脇には、レオン王アルフォンソ9世と結婚してカスティーリャ王国とレオン王国を平和裡に統合させた娘、ベレンゲーラ女王が眠っている。

しかし柩の多くは、幼くして亡くなった王家の子供たちのものだった。1メートルほどのごく小さなものに華麗な装飾を施した王女の柩を見たときは、痛ましい思いにかられた。

建築としては基本はロマネスクとゴシックだと思うのだが、ところどころにムデハル風の装飾があったりするのがスペインらしく、面白い。
修道院の敷地は広く、その一部のみが観光客に公開されているようだった。
残りの部分では、修道女たちが今でも祈りの日々を送っているそうだ。


回廊

回廊天井に残るムデハル文様

天井の天使像

修道院の門を出ると、すぐそばに市バスの停留所があったが、本数が少ないようなので歩いて町の中心部に向かうことにした。
バス停を道標代わりにして静かな住宅街をしばらく歩くと、アルランソン川沿いの道に出た。
名前は分からないがカシワのような落葉樹が茂っていて、風が吹くとその実が落ちてきて地面に叩きつけられる。私の頭をかすめて落ちてきたのを一つ捕獲した。日本に連れ帰ることにする(あ、検疫…)。
旧市街の入り口にあるサンタ・マリア門まで徒歩20分というところだろうか。思ったよりも時間はかからなかった。

■サンタ・マリア門 Arco de Santa María

カルロス1世、エル・シドなど六人の英雄の像が飾られている。
14世紀につくられた門だが、16世紀にカルロス1世の像を加えるために改装された。
内部は博物館。



■カテドラル Catedral

公式サイト

3ユーロの入場料がかかるはずだが、無料で入れた。なぜだろう…。
写真はフラッシュをたかなければOKだと言う。まわりをきょろきょろ見回すと、西洋人観光客がバシャバシャ写真を撮っていたので、私も撮らせてもらうことにした。が、宗教的施設での写真撮影はやはり気がひける。


トレド、セビーリャと並んでスペイン三大カテドラルのひとつと言われるだけのことはあって、内部はことごとく壮麗。あまりにも広いので、構造がどうなっているのかよく分からない。礼拝堂から回廊脇の小部屋まで、どこもかしこも美術品や宝物で溢れている。

カテドラルのほぼ中央には11世紀レコンキスタの英雄エル・シドとその妻ヒメナが眠っている。
仏文学徒なのでついル・シッドと呼びたくなってしまう。
と言っても実は読んだことがないので詳しいことは知らんのだが(おい)、ガイドブックなどによるとエル・シドはブルゴス近郊ビバールの生まれ。カスティーリャ王サンチョ2世に仕えたが次のアルフォンソ6世に疎まれ、国外追放されてしまう。その後はサラゴサ王、アラゴン王などに仕えながら各地でイスラム教徒と戦い、ついにはムラービト朝を破ってバレンシアを陥落させた。死後その功績を認められて妻とともに「里帰り」したそうである。


金の階段

手すりに沿って繊細華麗な金の装飾が施されている。
パリのオペラ座の階段はこれをモデルにしたそうだが、そんなに似てるだろうか。

レオナルド・ダ・ダ・ヴィンチ作ではないかと言われているというマグダラのマリア像を見る。
『ダ・ヴィンチ・コード』ファンは喜びそうだが、どう見てもレオナルドじゃないと思う。だってなんだか下手だよ……。
帰国後数人にこの写真を見せたが、全員から「こりゃ違うだろ」「これがダ・ヴィンチだったら泣いちゃうよね」という意見をいただいた。
さて真相はいかに。




ステンドグラス越しの光が回廊の床に模様を描く

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