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2004.9.30(木)

メッヘレン Mechelen


現在のメッヘレン市庁舎

7:00起床。9:00少し前にホテルを出、メッヘレンに遠征する。
試しにホテルからブリュッセル・ノールまで歩いてみると、15分ほどで着いた。道もきれいに舗装されているし、これならスーツケースをひきずってでも十分徒歩で行けそうだと見当をつける。
改めて外から眺めたブリュッセル・ノール駅は、型どおりに現代的で素っ気ない印象。勤め人らしき男女が三々五々駅に通じるスロープを上っていく。

■グローテ・マルクト Grote Markt


一番左の建物が旧市庁舎

ブリュッセル・ノールを出てから20分ほどでメッヘレンに着いた。
メッヘレンはブリュッセルとアントワープのちょうど中間くらいの所に位置する中世の古都。マクシミリアン1世とマリー・ド・ブルゴーニュの娘マルグリット・ドートリッシュ(マルガレーテ・フォン・エスターライヒ)が治めた街である。英邁な女君主として知られた彼女の治下、メッヘレンは文芸の中心地として大いに栄えたのであった。 


「不実な夫」人形の像

とりあえず街の中心地グローテ・マルクトを目指して歩き出す。駅から一本道。……にもかかわらず迷う。なぜだ!
右往左往した末、なんとかたどりついた。我が身の方向音痴がのろわしい。

小さな尖塔を持つ城のような市庁舎が印象的なグローテ・マルクト。
その向かいにはかつての市庁舎で、現在は郵便局として利用されている建物がたっている。
広場の真ん中にマルグリットの像が建っているはずなのだが、影も形もない。
撤去されてしまったのか、修復中なのか。いずれにせよ残念だ。

広場の隅には、「不実な夫」と呼ばれる人形のブロンズ像がある。
メッヘレンの祭りではこの人形をみんなで放り投げ合うそうだ。


■聖ロンバウツ大聖堂 St. Romboutskathedraal

フランドルを旅する者の心に強い印象を残すカリヨンの音色。カリヨンとは組み鐘のことで、それぞれ異なる音色を持った複数の鐘をペダルや鍵盤によって操作し、メロディーを奏でる。
この聖堂の約100メートルの塔(建設当初の計画ではもっと高くなる予定だったとか)にはベルギーでも最大級の規模のカリヨンが取り付けられているという。
様式としてはゴシック。祭壇にはヴァン・ダイクの磔刑図が掛けられている。

外に出ると、雨が降りだしていた。
折り畳み傘を広げてマルガレータ宮殿を目指す。グローテ・マルクトから宮殿へ続く通りは工事中のようで、石畳がはがされて土が剥き出しになっているため歩きにくい。
道なりに建つ店の窓にはビール「グーデン・カロルス」がディスプレイされている。グーデン・カロルスとは「黄金のカール」の意で、カール5世の肖像画が刻まれた金貨を指す。この街で14世紀から醸造を続けている由緒正しい醸造所、ヘットアンケルで生産されている。

■マルガレータ宮殿 Paleis van Margaretha

マルグリット・ドートリッシュのかつての宮殿。フランス語のマルグリット、英語のマーガレットはフラマン語ではマルガレータになる。
北側の通りに面して小さな入り口があった。中に入ると暖かみのある煉瓦色の建物に囲まれて瀟洒な庭園が広がっているが、宮殿というにはあまりに慎ましいたたずまい。残念ながら、内部を見学することはできない。
ここは現在裁判所として利用されており、この日も法服姿の人をちらほら見かけた。


マーガレット・オブ・ヨーク

通りを挟んで反対側には、もうひとりのマルガレータことマーガレット・オブ・ヨークの宮殿があり、こちらは市の劇場となっている。

マーガレット・オブ・ヨークはヨーク公リチャードの娘で、イングランド王エドワード4世とリチャード3世の姉妹。1468年にシャルル・ル・テメレールの三番目の妃として嫁した。シャルルとの間に子供は産まれなかったが、先妻イザベル・ド・ブルボンの娘マリー・ド・ブルゴーニュを実子同様にいつくしんだと言われる。
彼女がメッヘレンに居を構えたのは夫シャルルの死後のことであるらしい。
1482年には義理の娘マリー・ド・ブルゴーニュも世を去り、マリーの遺したフィリップとマルグリット(彼女の名はマーガレットに因んで名付けられた)の養育は義祖母マーガレットの手に委ねられた。もっともマルグリットはわずか三歳で祖母の手から引き離され、フランス王太子の婚約者としてフランス宮廷に赴くことになるのだが。
マーガレット・オブ・ヨークは1503年にメッヘレンで死去し、当地のコルドリエ会修道院に葬られたが、墓所は宗教戦争のさなかに破壊され現在は行方知れずである。


マルグリット・ドートリッシュ

孫のほうのマルグリットはフランス王太子との婚約が破談になった後、1497年にカスティーリャ・アラゴン王太子フアンに嫁ぐが半年で死別。1501年に嫁いだ二度目の夫サヴォイア公フィリベルトとの結婚生活も、フィリベルトの急死によりわずか三年で幕を閉じた。
故郷のメッヘレンに帰ったマルグリットは、父マクシミリアン1世の命によりネーデルラント総督の地位につく。たちまち鮮やかな政治手腕を発揮し、「ヨーロッパ随一の外交官」と讃えられるようになった。後に甥カールが神聖ローマ皇帝選挙でフランソワ1世に勝利したのも、領内を駆け回って各方面から支援を取り付けた彼女の力によるところが大きい。

話は前後するが、ネーデルラント統治と並んでマルグリットが心血を注いだ仕事こそ、兄フィリップ美公の遺児たちの養育であった。
フィリップ美公には長女エレオノーレを筆頭に二男四女があったが、フィリップ自身は1506年に急死。妻フアナも精神を病んでトルデシーリャスの宮殿に幽閉され、子供たちは孤児同然の状態にあった。
これらの甥姪のうちスペインにいた二男フェルディナント(フェルディナン、フェルナンド)と四女カタリーナ(カトリーヌ)を除く四名をマルグリットは引き取り、ここメッヘレンの宮殿で養育する。
子供達は聡明な叔母の薫陶を受けて成長し、それぞれ神聖ローマ皇帝・スペイン王(長男シャルル/カルロス/カール)、フランス・ポルトガル王妃(長女エレオノール/レオノール/エレオノーレ)、デンマーク王妃(二女イザベル/イサベル/イザベラ)、ハンガリー王妃(三女マリー/マリア)となった。

この石畳の上で、幼いカールたちきょうだいが遊んでいたのだろうかと想像してみたが、いまは冷たい雨が叩きつける音が聞こえるのみである。

■ホフ・ヴァン・ビュスレイデン市立博物館 その他 Stedelijk Museum Hof van Busleyden


市立博物館
この日は閉まっていたので、柵の間から撮影

市立博物館にほど近い聖ヤン教会に入り、ルーベンスの祭壇画などをウロウロ見学していると、一族とおぼしき人々がぞくぞく中に入ってきた。なにやら法事か葬式でも始まりそうな雰囲気だったのであわてて外に出る。
このあたりに王立カリヨン学校があると聞いていたのだが、なぜか見つからなかった。

ようやく雨のあがった街を歩いてメッヘレン駅に戻り、11:40発のブリュッセル行きの電車に乗った。


旧修道院のそばにあった像



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