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2004.9.30(木)

ブリュッセル Bruxelles




マネケン

大都会ならどこもそうであるようにブリュッセルも郷土色は薄い。小パリといったたたずまいだが、気のせいか、カフェにおけるビール注文率が高いような気がする(気のせいかも)。
地形的にはパリよりも起伏が多く、それが街の景観にリズムを与えているように思った。

観光客らしくマネケンに入る。ワッフルの有名店。
一時期日本で流行ったリエージュ風の堅いワッフルではなく、ブリュッセル風のサクサクしたワッフルに、生クリーム、いちご、チョコレートが美しく飾られている。
喜び勇んでもぐもぐもぐと三分の一ほど食べたところで、写真を撮っておけばよかったかなと気がついたが後の祭り。

■小便小僧 Manneken Pis


オテル・アミーゴ

観光客らしく小便小僧のジュリアン君を見に行く。周辺には土産物屋がたくさん。
ジュリアン君は道端にさりげなく立っていた。
世界三大がっかりのひとつと聞いて、どんなにがっかりするか楽しみにしていたのに、それほどがっかりしなかった。
がっかり(?)。

グラン・プラスとジュリアン君の間にはオテル・アミーゴがある。
ヴェルレーヌがランボーを撃った後投獄されていたところで、現在はホテル。
いつかここに泊まって「撰ばれてあることの恍惚と不安と 二つわれにあり」と言ってみたい。

■ギャルリー・サン・チュベール Galerie St. Hubert


天井には謎の牛のオブジェが。

パリのギャルリー・ジュフロワやギャルリー・ヴェロ・ドダは有名だがブリュッセルにも美しいパサージュがある。
ベンヤミン『パサージュ論』を思い出しますね。というわけでモノクロで写真をとってみたらそれっぽくなった。

ギャルリー・サン・チュベールは1847年に完成した、ヨーロッパ最古のパサージュのひとつ。
内部はギャルリー・デュ・ロワ、ギャルリー・ドゥ・ラ・レーヌ、ギャルリー・デ・プランスの三部に分かれており、衣服、アクセサリー、刃物、アンティークなどのブティックのほか、レストランや劇場も入っている。


ギャルリー・デ・プランスの書店にて。三島由紀夫、小川洋子、中上健次。


パサージュを抜けイロ・サクレ地区へ。
レストランがひしめきあう、いかにも下町という感じの脇道を歩いていくと、怪しげな日本語で声がかかる。
ジュリアン君の妹分としてつくられたジャンネケ・ピスは、なんというかコメントに困る代物。


ジャンネケ・ピス

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■ル・ロワ・デスパーニュ Le Roi d'Espagne

うろうろしているうちにいつのまにかグラン・プラスに戻っていた。
観光客らしくル・ロワ・デスパーニュ(有名なブラッスリー)でビールを飲む。ベルヴュ・クリーク。ランビックにさくらんぼを漬けこんだ香り高いビール。甘くてまるでジュースのよう。うまい。

ル・ロワ・デスパーニュ=スペイン王ってカール5世(スペイン王カルロス1世)のこと? と思ったら、カルロス2世の方だった。三階ファサードに彼の胸像が飾られていたのが由来だという。
カール5世が父フィリップ美公の領地を継承して以来約200年間、現在のベルギーにあたる南部ネーデルラント諸州はハプスブルク朝スペインの統治下にあった(北部ネーデルラント7州はオランダ独立戦争を経て独立)。
カルロス2世はこのスペイン・ハプスブルク最後の王。
フェリペ4世と姪マリアーナ・デ・アウストリアとの間に産まれた末子で、ベラスケスの肖像で有名な王女マルガリータは姉にあたる。

狂女王フアナの時代から何代にも渡って繰り返された血族結婚の弊害か、カルロスは生来虚弱で知能にも遅滞があった。
彼が1700年に子供を残さないまま逝去すると、ルイ14世に嫁いでいた異母姉マリア・テレサ(マリー・テレーズ)の孫フィリップ(アンジュー公)がスペイン王フェリペ5世として即位するが、これを不服としたオーストリア・英国・オランダはフランス・スペインに宣戦布告。ここにスペイン継承戦争が勃発する。


■王の家 Maison du Roi


内部は市立博物館になっている。ブリューゲル父の『婚礼の行列』などの絵もあるが、ブリュッセルの歴史に関する展示が主。
階段の途中には、カール5世の治めた諸都市の紋章がステンドグラスで表現されていた。それを見て初めて、ああ、私はいまハプスブルク帝国領の中にいるのだなあと実感した。今までは海外旅行というとフランスだったので、旅先で双頭の鷲を見かけることなどなかったのだ。
グラン・プラスの変遷を描いた絵を見る。ルイ14世の砲撃で廃墟となった姿が痛々しい。現在のグラン・プラスは、その後ブリュッセル市民たちの根性で修復されたもの。
三階にはジュリアン君の衣装が展示されていた。日本から贈られた衣装は四点ほど。桃太郎の衣装には、ご丁寧にも犬・猿・雉のぬいぐるみがついている。羽織袴と鎧の衣装は、ルイ15世から贈られた衣装と同じケースに入れられて一番良い場所に飾られていた。

■サン・ミシェル・エ・ギュデュル大聖堂 Cathédrale Saints Michel et Gudule

正式にはサン・ミシェル大聖堂なのだろう。というのも地元の人たちは大聖堂に聖女ギュデュルの名をつけたいと望んだが、教皇庁の許可がおりなかったという逸話があるのだ。


聖ギュデュル

聖ギュデュルはどちらかといえばマイナーな聖人だと思うが、ベルギーおよびブリュッセルの守護聖女である。
8世紀頃の人で、その母はペパン短躯王の姪であるとのこと。
かつてこの地に礼拝堂があり、少女ギュデュルは夜明け前に起き出しては祈りを捧げていた。毎晩のように悪魔がやってきて蝋燭の炎を吹き消し彼女の心を乱そうとしたが、神の恩寵により、明かりはふたたび灯ったという。

外壁が白く磨き抜かれているのと周囲の建物が現代的なので新しく見えるが、13世紀の着工。
ステンドグラスは16世紀の作で、カール5世の戴冠式の様子などが描かれている。
現在この大聖堂は現ベルギー王室の人々の戴冠式&結婚式スポットとなっていて、この日も王子の結婚パネルが飾ってあった。
ただし王家の菩提寺(?)というわけではなく、墓所は別の場所にあるらしい。

ここに葬られているのは代々のブラバン公のほか、フェリペ2世の死後ネーデルラントを統治したオーストリア大公アルブレヒト、その妻でフェリペ2世の愛娘イザベラ大公妃(イサベル・クララ・エウヘニア)、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンなど。
しかしアルブレヒト大公らの墓はフランス革命時にとばっちりを食って破壊されている。ファン・デル・ウェイデンについても正確な埋葬地は特定できていないそうだ。


カール5世の戴冠

そしてこの大聖堂、実はシャーロット・ブロンテゆかりの場所でもある。
それは1843年9月1日、彼女がブリュッセルに留学していた時のできごと。
妻子あるコンスタンタン・エジェ氏への報われぬ恋に思い乱れ、ブリュッセルの街にさまよい出たシャーロットは、サン・ミシェル・エ・ギュデュル大聖堂に迷い込んで発作的に告解したという。
シャーロットは牧師の娘で当然プロテスタント。プロテスタントがカトリックの教会で告解をするとはあまりに破天荒な行為だが、それだけ彼女の精神状態が限界に近づいていたということだろう。
翌年1月シャーロットは生まれ故郷のハワースに帰って行った。エジェ氏への激しい思慕の情はやがて彼女の中で昇華され、小説『ヴィレット』として見事に結実する。


グラン・プラス近くの老舗菓子店
DANDOY(ダンドワ)



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