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2004.9.24(金)

アムステルダム Amsterdam

7:00起床。朝食はホテル1Fのレストランにて。
意外にもバイキング形式で豪華だった。食事中どこからか黒猫が乱入してくる。
9:00頃ホテルを出て駅前のGVB(市営交通案内所)に行き、オール・アムステルダム・トランスポート・パスを入手した(21ユーロ)。トラムとバス、地下鉄、カナル・バスが一日乗り放題になるパスだ。

■アムステルダム国立美術館 Rijksmuseum Amsterdam


公式サイト

トラムでライツェ広場に向かい、そこから歩いて国立美術館に行く。
ここの目玉はレンブラントの「夜警」。
思っていたよりもはるかに大きいその絵をしげしげ眺めて、初めて気づいた。夜警の画面中央あたりにいる人物。今の今まで成人女性がしゃがんでいるものとばかり思いこんでいたのが、実は女の「子」だったことを知った。画集などでこの絵を見る機会は何度もあったにもかかわらず、20年近くもそう信じてきたのだから、思いこみとは恐ろしいものだ。
隣にミニ夜警があった。後世の画家による模写なのだが、これを見ると、もともとの『夜警』は左側がもっと長かったことが分かる。
ほかに、フェルメールが三点。「手紙を読む青衣の女」が素晴らしい。

■国立ゴッホ美術館 Van Gogh Museum

公式サイト

降ったりやんだりの不安定な天気の中、ゴッホ美術館に向かう。
入り口には長い行列が出来ていて混雑を覚悟したが、中に入るとそれほどでもなかった。
もともとゴッホの絵はあまり好きではないが、浮世絵をモチーフにしたものは面白いと思う。異国で「新吉原」とか「大黒屋」という文字を眼にするのは妙な気分。
各時代の自画像がずらりと展示されて、ゴッホの努力の跡が窺えて涙ぐましい。オランダから花の都パリに出てきて、流行の印象派にのっかろうと頑張ったんだろうなあ、とか。スーラやなんかに比べると、彼の絵はいかにも泥臭い。
三階にはルドンが展示されていた。印象派の中では唯一好きな画家。嬉しかった。

■メルヴェデプレイン Merwedeplein

「アンネ・フランクの家」というと今ではプリンセンフラハトの隠れ家を指すが、もともとフランク一家はメルヴェデプレインの集合住宅に住んでいた。アンネ自身はメルヴェデプレインこそ自分の家と思っていただろうし、彼女が短い人生の中で最も幸せな時期を過ごしたのもまたここだったはずだ。潜伏生活に入ったときも、一家は戦争が終わったらすぐにここに帰ってくるつもりでいた。
アムステルダム南部、Zuid地区にあるメルヴェデプレインへは、12番か25番のトラムが通っている。私はゴッホ美術館そばの停留所から12番のトラムを利用した。
1942年当時、アンネはこのトラムに乗ることができなかった。ユダヤ人が電車や自転車を使用することは禁じられていたからだ。隠れ家に移り住んだ時も、プリンセンフラハトのオペクタ商会まで何時間もかけて徒歩で移動したのだという。
トラムがChurchillaanに入り(チャーチル、ということは戦後につけられた名前だろうか)ホテルオークラが見えてきたあたりで下車した。郊外の住宅街といった風景を眺めながら歩いていく。子供やお年寄りの姿が目に付いた。
適当な所で右折し、ぶつかった通りを左に曲がると、正面に見覚えのあるビルが見えた。両側に建物が扇形に広がる。その右手の棟の三階、37番地にアンネは住んでいた。


メルヴェデプレインの集合住宅

70年前、ドイツからヒトラーの手を逃れてオランダへやってきたフランク一家が新築のこの建物に移り住んできた頃は、まだ工事がすんでおらず、広場には資材の砂が積まれ、子供達の格好の遊び場となっていた。
今では木が生い茂り、青々とした芝生の上にオブジェが置かれている。建物は手入れが行き届いており、70年前のものとは思えないほどモダンできれいだ。
アンネの暮らしていた部屋には今は別の人が住んでいるようで、見上げると現在の住人とおぼしき男性と目が合ってしまった。……我ながら怪しい東洋人だと思う。


メルヴェデプレインのフランク一家

写真中央あたりがアンネの住んでいた部屋



アンネの部屋のあった棟のちょうど裏側あたりに、書店がある。
父のオットーが、アンネのために一冊目の日記帳を買った店だという。
ウィンドウにはアンネの日記と関連本がディスプレイされていたが、ここが当の日記購入店であることは特に主張してはいないようだ。

アンネが「崇拝者」たちにアイスクリームをおごらせた(13歳にして…。魔性の女…)店オアーゼにも行くつもりだったが、住所をメモしてくるのを忘れたのであえなく断念。
どうも詰めが甘い。
そこでアンネが通っていた学校に行こうと思って地図を見ていたら、警官の男性に「何かお探しですか?」と声をかけられた。やはり怪しいのか。

アンネの通ったモンテッソーリ・スクールは、メルヴェデプレインから歩いて10分ほどの所にあった。今はアンネ・フランク・スクールと呼ばれている。壁は虹色に塗られ、その上にアンネの字が書かれている。


アンネ・フランク・スクール

外観の写真を数枚撮った。
場所が場所だけに、あまりウロウロしていると本気で変質者と間違われそうだったので、適当な所でカメラをしまい、踵を返す。
と、トラムを降りてからはずっと晴れていた空が急にかき曇り、バラバラと雨粒が落ちてきた。
小走りにMAASSTRAATに向かい、4番のトラムに乗った。Frederikspleinで7番のトラムに乗り換え、再びライツェ広場へ。
15:05のカナルバスに乗るつもりがなかなか来ない。また雨足が強くなる。ひょっとしてもう行ってしまったのかと疑い始めた頃、やっと向こうのほうにカナルバスの姿が見えた。
船の中からマヘレの跳ね橋などを見る。視点が低いと町の印象もまた違って面白い。



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