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2004.9.26(日)

リール Lier

7:00起床。フランス語放送のニュースでサガンの死去を知る。
アントワープから電車で15分ほどの所にある街、リールを訪れるため、駅に向かう。発音に自信がなかったので、地名を書いて見せて往復切符を買った。
電車の本数は一時間に一本程度。昨日のうちに時間をチェックしておいたので待たずに乗ることができた。
景色を見ながら短い旅……のつもりだったのだが、
一緒に乗りこんできたガキ、もといお子様の集団が超うるさい!
耳も聾さんばかりの大音量で叫び笑い、あげくの果てに電車の壁をガンガン蹴って凄まじい音を立てる。引率の大人は見て見ぬ振り。
私と通路を挟んで反対側に座っていた40年配の女性は、たまりかねた様子で隣の車両に移ってしまった。


グローテ・マルクトの一画

私もしばらくは耐えていたが、ついに我慢の限界に来て席を立った。
車両を移動してやれやれと思っていると、さっきの女性が(おそらくはフラマン語で)話しかけてきたので、「分からないよ」という顔をしてみせると彼女は「Il était…」と言って耳の横で手をひらひらさせた。
うんうんと二人で頷きあう。ほんっとうるさいですよねー。

そうこうしているうちにリールに到着。駅前はやや寂しい感じ。ベルギーの中では、ブルージュに次いで美しい町だと聞いていたのだが…。

目抜き通りらしい所を歩いていくと、グローテ・マルクトに出た。市庁舎の前で、数人が市場の準備をしている。
マルクト広場を抜け、絵のように美しいネーテ川にかかる橋を渡ってしばらく行くと、正面に聖グマルス教会が見えてきた。
教会の前は広場のようになっており、大きなキリスト像が立っている。背後にあるのは聖ピーター礼拝堂、リール最古の建造物だという。
教会は10:00開場と書いてあるが、戸が開いていなかった。
そこで、先にジンメルの塔を見学に行く。


■ジンメルの塔 Zimmertoren

公式サイト

リールのシンボル、ジンメルの塔。
この街で産まれた時計職人ジンメルが、1930年に「20世紀最大の発明」100年時計を完成させ、中世の塔に取り付けた。文字盤には地球儀や星座の書かれた13の盤がはめ込まれ、それぞれ日付、時刻、月の満ち欠け、潮の干満を示している。あほみたいな感想になってしまうけど、とても「可愛い」。ミニチュアがあったら買いたいくらいに。(ないけど)
塔の内部では時計のしくみを見学することができる。説明は自動音声だが、フランス語にしてしまったので、全部は理解できなかった……。いや、テーマから言って、日本語でも理解できなかったかもしれないが…。
塔の鐘は十分ごとになるようになっているようで、中にいると驚くほど大きく音が聞こえる。
最上階まで上がって、最後は実際に塔に据え付けられているカラクリ時計を裏から見られるようになっている。周囲に目をやると、そこここに中世当時の装飾が残っていた。

塔を降りて付属のパビリオンへ入る。ドイツ人の団体さんに混ざって見学。正面に大きな時計が展示されている。その下にもからくりの装置。一斉に踊り出す少女たちの人形がコミカル。
一角にはジンメルの仕事場も再現されていた。

■聖グマルス教会 St.Gummaruskerk

今度は開いていた。
ここはブルゴーニュ公フィリップ(美公)とカトリック両王の次女フアナが結婚式をあげた所だというので、是非とも訪れたかったのだ。
二人の出会いについて、中丸明『ハプスブルク一千年』には以下のようにある。

ふたりの出会いは、まさにその後の関係を決定づけたほど興味深い。アダムとイヴはおたがいの凸と凹を求めて八百キロの距離をたがいに縮め合い、現在ではフランス領に組み込まれているリールという小さな町で行き合う。
と、金髪の若者は花嫁の目をその青い瞳でじっと見つめ、家来に向かってこう言った。
「最初に目についた坊主を連れてこい」(中丸明『ハプスブルク一千年』p.166)


「フランス領に組み込まれているリールという小さな町」というのは著者の勘違いで、おそらくフランスはピカルディーのリール(Lille)と取り違えたのだろう。

フィリップが司祭に形ばかりの祝福を与えられた後、すぐにフアナをベッドに引きずり込んだと言うのは非常に有名なエピソードで、どの本を見てもだいたい記述が一致している。
フィリップの性急さを愛の深さゆえと受け取ったフアナはすっかりこの不誠実な夫に入れ上げ、その後約10年に渡る彼女の嫉妬と狂乱の日々が幕を開けた。
後に母イサベル1世の後を襲ってカスティーリャ女王となり、狂女(ラ・ロカ)という不名誉な渾名で呼ばれることになるフアナの不幸は、ここリールから始まったといえるだろう。


聖グマルス教会は「形ばかりの式」を挙げた場所なのか、それとも契りが済んでから改めて式を挙げた場所なのかは分からなかった。
目の前の教会の壮麗さから言って(ブルゴーニュ公の結婚式の場としてなんら不都合ないように思える)後者のようにも思われるが、正式な結婚式はブリュッセルの大聖堂で行われたとしている本もあってはっきりしない。
フアナ関連の本はスペイン人の手になる物が圧倒的に多く(当たり前だが)、フランドルでの彼女の足取りは調べづらい。
リールに滞在する間、フアナは修道院に寝泊まりしていたとのことだが、それがどこなのかも分からなかった。

主祭壇裏には木の祭壇がいくつもあった。
フィリップやフアナの姿が描かれたステンドグラスを眺めていると、人が続々集まってきた。
ミサが始まるようだ。そういえばきょうは日曜日だった。
邪魔にならないようにそっと外に出る。
その時、私のほかにもう一人オリエンタルの女性がいるのに気づいた。

■ベギン会院(ベギンホフ)  Begijnhof


牢屋の門

「牢屋の門」はかつての城壁の一部で、20世紀はじめまで牢獄として使われていたためにこの名がある。
門の前を左に行くとジンメルの塔。

さて、アムステルダムで行こうとして(時間切れで)行けなかったベギンホフへ行こうかねと思い、「牢屋の門」の前でガイドブックを広げて見ていると(←治安がいいと思って安心しきっていますが、本当はこういうことはしちゃいけません)突然日本語で「すみません」と声を掛けられた。
先ほど聖グマルス教会で見かけた女の人だった。
「日本語の本を見てらしたから、日本の方だと思って」
そういう彼女は滋賀の人で、今月からリールでダンス留学をしているそうだ。おそらく私と同年輩。リールで日本人を見たのは初めてとのこと。
ベギンホフまで付き合ってもらうことになった。

ベギン会はフランドルとドイツの一部にのみ見られる半聖半俗の共同体である。提唱者はフランドル伯妃マルグリット。十字軍の時代、夫や息子を失った女性たちが助け合って暮らしていくために生まれたシステムだった。修道院と違って本人の自由で好きなときに出入りができ、個人財産の所有も認められていたという。
中世風の門から敷地に足を踏み入れると、教会を中心に、小さな白壁の家が建ち並び町をつくっている。しんとして、人影もない。教会に入ろうとしたが、なぜか内側から鍵が掛かっていた。中から人の話し声が聞こえる。団体客の貸し切りなのだろうか。

駅まで二人で歩いた。ケーキやさんにたくさんの人が並んでいる。「こっちの人は、休みの日になるとケーキを買うんですよ」と彼女は笑って言う。
彼女は家にテレビとパソコンがなくて休日は暇なのだそうだ。パソコンを買うつもりだが、日本語入力できるように設定するにはどうすれば良いか?と聞かれたがお役に立てなかった。うう、無力…。
世間話をしながら歩くと駅まではあっと言う間だった。
12:09発の電車に乗り込み、お礼を言って別れる。ダンス、頑張って下さい。


ジンメルの塔の側面に取り付けられていたキリスト磔刑像



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