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■サント・ドミンゴ教会跡資料館

長崎歴史文化博物館から歩いて数分の場所にある。
1609年、初代長崎代官でキリシタンだった村山等安が、ドミニコ会のモラーレス神父に寄進した土地で、神父はここにサント・ドミンゴ教会を建設した。禁教令によって教会が破壊された後は等安の後任者の末次平蔵がここに代官屋敷を建て、その後は高木氏(本蓮寺のお墓の主)へと引き継がれた。
2000年、長崎市立桜町小学校の校舎を建設するために地面を掘り返した所、代官屋敷時代の遺跡はもとより、教会時代の遺構までがゴロゴロ発掘され騒ぎに。急遽小学校の一部を資料館として公開することになったという。

資料館内部には遺構が発掘されたままの姿で保存され、真ん中に通路が渡されている。遺跡の地層のサンプルもあった。下から教会時代の地層、末次時代の地層、高木時代の地層と、きれいに三段になっている。
展示コーナーでは、ガラスケースに入ってメダイなどのキリシタン遺物が並んでいた。特に目立つのが南部せんべいのような花十字紋瓦。多くは割れていて、粘土のようなもので補修がされているが、中にはほぼ完璧な形で出土したものもある。

■長崎市役所別館(サン・フランシスコ教会、桜町牢跡)

今は全く面影がないが、フランシスコ会の本部、サン・フランシスコ教会(修道院)があった所。当時このあたりはクルス町と呼ばれていた。
教会の破壊後はキリシタンたちを収容する桜町牢となり、多くのキリシタンが西坂の刑場へ引き出されるまでの日々をここで過ごした。

■春徳寺(トードス・オス・サントス教会跡)


春徳寺に続く坂の途中にあるルイス・デ・アルメイダの碑

市役所前から路面電車に乗る。バスと同じように後ろから乗って、前で支払うシステムだった。一律100円でどこにでも行けるのはありがたい。
もっとも地元の人たちはほとんどICカードを利用していて、現金で支払っているのは観光客ばかりのようだった。

新中川町で下車。ここから長い坂を登り詰めた先に春徳寺がある。
かつてこの地にあったのはトードス・オス・サントス教会。
長崎甚左衛門純景が元商人で医師のイエズス会修道士、ルイス・デ・アルメイダに自分の菩提寺を寄進し(寺の住職はいずこへ…)、その土地にガスパル・ヴィレラ神父が教会を建てた。
長崎で最初のカトリック教会である。

本蓮寺と同様、ここにもキリシタン時代の井戸が残されている。そして本蓮寺同様、ここでもお寺の方に頼んで見せてもらわなければならない。
どうしよう気が引ける。でもやっぱり見たい! というわけで、押しましたインターフォン。
ピンポーン
「はーい」
「あの、井戸を見学したいんですけど」
「井戸だけでいいですか?」
「ハイ」
「いま鍵あけますね」
拍子抜けするほど簡単だった。
本堂左手のくぐり戸の鍵を開けるとお坊様は寺務所へ戻っていかれた。

井戸はこぢんまりした清潔な庭の奥にあった。今でも水は枯れていないようだが、使用はされていないようだ。
傍らには小さな石碑が建っている。出発前に参考にさせていただいたサイトの写真では「外道井」と刻まれていたが、今では何も書かれていない。差別用語だというので削り取られたのだろうか? でも、キリシタンが日本の神仏をサタン・天狗と呼んだように、仏教徒から見たらキリスト教徒は「外道」だったのも事実だ。
横に置かれている大理石の板は本堂の改修時に発掘されたもの。用途は分からないが、おそらく祭壇であろうとのこと。
お坊様にお礼を言って春徳寺を去る。

扉が閉まっていて裏の方には行けなかったので全体像は分からなかったけれど、教会時代にはセミナリヨとコレジョ、それに活版印刷所が併設されていたというから、敷地はかなり広いのだろう。お寺の裏山は「唐渡山(とうどさん)」という。「トードス・オス・サントス」の名前の名残なのかとも思ったが、教会建設以前からそう呼ばれていたそうだ。
活版印刷所に置かれていた印刷機はリスボンから天正遣欧使節が持ち帰ったもので、一行に加わっていたコンスタンチノ・ドラードが技術者として書籍の印刷・発行に携わった。日に日に迫害が厳しくなる中、印刷機は加津佐のコレジオ、天草のコレジオ、そしてここ長崎のトードス・オス・サントス教会内のコレジオと、各地を転々とし、最終的にはドラードと一緒にマカオへ渡っている。
私は学生時代、一般教養の授業で天草版の「エソポのハブラス」(伊曾保物語)を読んだことがある。これはヨーロッパ人宣教師向けの日本語の教科書として使われていた。確か訳者はあの「背教者」不干斎ファビアンだったはず。
禅僧からキリシタンに転向し、『妙貞問答』を書いたあと棄教したファビアンもたいへん興味をそそられる人物だ。同じように秀才で鳴らした原マルティノとの違いは、スコラ的思弁の問題を言語によって(内的信仰体験なしに)理解できたかどうかだと若桑みどりは書いている。
シドッチとフェレイラ、中浦ジュリアンと千々石ミゲル、ペトロ岐部とトマス荒木、原マルティノと不干斎ファビアン。
これらの対比は私を惹きつける。キリシタンたちは前者が光で後者が影だと言うだろう。しかし本当にそう言い切ってしまっていいのか、私には分からない。


山門前の大楠。キリシタン時代から平成まで、長崎の歴史を見つめてきた



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