HOME 2008.12.20(土)
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南山手レストハウス |
エレベーターを降りると展望台が設けられていて、その前に南山手レストハウスがある。トーマス・グラバーの弟が住んでいた洋館で、観光客のための休憩所として利用されている。
展望台からの眺め |
《旧三菱第2ドックハウス》
第二ゲートからグラバー園に入って最初に出会うのがこの建物。
中には船の模型が展示されている。私はやっぱり16〜17世紀の帆船が好きだ。
《旧ウォーカー住宅》
《旧長崎地方裁判所長官舎》
左が旧ウォーカー住宅、右が旧長崎地方裁判所長官舎。
旧長崎地方裁判所長官舎は「レトロ写真館」になっていて、バッスルドレスなどを着て写真が撮れるようだが、この時は閉まっていた。
《旧リンガー住宅》
ここでは喜波貞子展をやっていた。喜波貞子は戦前のヨーロッパで活躍したオペラ歌手。父親がオランダ人、母親が日蘭ハーフで、つまり彼女自身に日本人の血は四分の一しか流れていなかったのだけれど、10代までを過ごした日本をこよなく愛し、誰よりも日本人らしいと言われた。
その頃ヨーロッパで上演されていた『蝶々夫人』の考証はきわめていい加減で、歌手はヘンテコなキモノ風衣装を着ているのが常だった。これに対し、衣装や髪型から小道具に至るまで、とことんこだわったのが喜波貞子。日本にいる母から着物や帯などを送ってもらって、それを着て舞台に立った。
21世紀の現代においても『SAYURI』のような変な衣装・髪型の日本モノ映画はたくさんあるし、それを見てモヤモヤした経験は私にもあるから、貞子さんの気持ちは良く分かる。私は『蝶々夫人』の物語はオリエンタリスム満載であまり好きになれないけれど、どうせやるならヘンテコ日本もどきではなくてちゃんとやってほしいと思う。
多少ヘンでもお話が面白ければいいや、とは思えず、どうしても細部にこだわってしまう、そんな凝り性(言い換えればオタクっぽい)な気質こそが日本人らしさだとしたら、貞子さんはやっぱり骨の髄まで日本人だったのだろう。
《旧オルト住宅》
グラバー園の中ではこの建物が一番好きだ。どれか一つもらえるとしたらここだな。切妻づくりのポーチ、からみつく木香薔薇がコロニアルな雰囲気(コロニアルの使い方を間違っているかも)。
《旧スチイル記念学校》
アメリカ人スチイル博士の寄贈した資金によって設立された「スチイル・メモリアル・アカデミー」の旧校舎。
内部では古写真を展示していた。
《旧グラバー住宅》
グラバー園の主役とも言うべき建物。内部にはグラバーさん一家の遺品や写真が展示されていた。またここには屋根裏に隠し部屋があり(鏡が設置されていて、下から覗けるように工夫されている)、幕末に志士たちを匿ったのだろうと言われている。
冬だというのに庭には花が咲き乱れていた。
写真を見ていただければ分かるとおり、この日のグラバー園はガラガラに空いていた。観光客が一杯だろうと覚悟していたのでちょっと拍子抜け。数少ないお客さんも母娘とか老夫婦が主で、まったりと観光している。
ただ一組だけ10人くらいの大学生風の団体がいてうるさかった。彼らは私のすぐ後に入園したらしく、観光していると後ろからわめき声や爆笑が聞こえてくる……。追い立てられるように園内を移動した。グラバー園内部ならまだいいけれど、大浦天主堂で一緒になってしまったら嫌だなと思う。
《長崎伝統芸能館》
ここを通り抜けないと外に出られないので入っただけなのだが、おくんちの出し物を展示していて面白かった。
町内によって曳物が違うようで、唐人船、阿蘭陀船、南蛮船、川船などそれぞれ個性豊かな船が並んでいる。この中でひとつもらえるとしたらやっぱり南蛮船だな(もらってどうする)。
併設のお土産物屋ではなぜか英国製のお菓子や「スコットランドの王様&女王様トランプ」が売られていた。グラバーさんがスコットランドの人だからか。
坂本龍馬グッズもたくさんあった。もともと長崎にゆかりの人である上、長崎市出身の福山雅治が2010年の大河ドラマ『龍馬伝』の主演に選ばれたというので、ここぞとばかりの大売出し中だ。好きな人にはたまらんだろうと思う。龍馬ファンではない私も、つい雰囲気に飲まれて「龍馬が愛した珈琲」なんてものを買ってしまった。幕末の味を再現した珈琲だそうだ。私は再現ものに弱いのです。
三浦環像 |
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