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■中宮寺

公式サイト

聖徳太子の母穴穂部間人媛が創建した尼寺で、もともとは今の場所よりもやや東方にあった(跡が残っているというが見ていない)。
その後荒れ果てて見る影もなくなっていたのを、室町時代に伏見宮家の尊智女王が復興、以降は門跡寺院として現在に至っている。確か、大学生と駆落ちして話題になった門跡が中宮寺の住職だったはず…。

入り口のあたりは落ち着いたたたずまいなのに、ご本尊を納める本堂はなんだか変わった建物である。一見して分かるコンクリート造で、近年になって建設されたもののようだ。
本尊の如意輪観音像あるいは弥勒菩薩像は、木造の思惟半跏像。お堂の奥でつやつや黒光りしていた。広隆寺の弥勒菩薩像に似ているが、お顔は中宮寺のほうが私は好み。
パンフレットには「スフィンクス、モナリザと並ぶ“世界三大微笑像”の一つ」と書かれていた。しかし世界三大微笑って世界で通用するのかね。日本人が決めたのではないのかね。
それはともかく魅惑的な微笑みであることは間違いない。
私は止利様式や本家ギリシャのアルカイックスマイルは正直苦手なのだが、伏した目の目尻がすっと頬に消えていく様子はいかにも尼寺にふさわしく、女性的で優しい姿であると思う。

 みほとけの あごとひぢとに あまでらの あさのひかりの ともしきろかも  會津八一

私の父は中学の修学旅行で見たこの像に惚れ込み、彼の実家の応接間には、このとき小遣いはたいて買った仏頭のレプリカが今も飾られている。変な中学男子だ。さすが私の親。

天寿国繍帳は聖徳太子の妃の一人だった橘大郎女が太子の冥福を祈って作らせたものだ。
ガラスケースに入って堂内に展示されているものはレプリカである。本物が東京国立博物館に来ているのを見たことがあるが、当時の色彩がはっきり残り、鎌倉時代に継ぎ足された部分よりもむしろ色鮮やかなのには驚かされた。
橘大郎女は推古天皇の孫で、太子の正妃、菟道貝鮹皇女(敏達と推古の皇女、橘大郎女にとっては伯母)の後釜として嫁いだと思われる。他の妻たちに比べるとかなり年若かった彼女は、これを作ることで自分の正室としての存在をアピールしようともしたのではないだろうか。
母は聖徳太子に複数の妻がいたことを初めて知ったらしく、「誠実な人だと思っていたのに、浮気者だったのね…」と衝撃を受けていた。『日出処の天子』読ませたろか。

受付けで二つ目の御朱印をお願いする。中宮寺の御朱印は菊の御紋と天寿国繍帳の亀に、「天寿国」と書いてある。
ああ、生来のコレクター魂が刺激されるのを感じる……。
御朱印帳は参拝の証として書いてもらうものなのに、集めることが目的になりかけてる。いかんこれでは本末転倒だ。

ここで、法隆寺五重塔北面の塑像を見ていなかったことを思いだした。一番有名な涅槃像である。
入り口まで行っておそるおそる頼むと、すんなり入れてもらえた。すでに入場時間は過ぎ、修学旅行生の集団も立ち去ってしまったようで、構内にはぽつりぽつりと観光客がいるのみ。がらんとして静かだった。
塑像は暗くてよく見えなかった。前の方で胸を叩いて悲しんでいる男の表情が確認できたような気がしたのは、写真で知っていたからかもしれない。

■垂仁天皇陵

近鉄奈良駅まで行くバスがしばらくないので、筒井駅まで行って、そこから電車に乗り換えて帰ることにした。
線は薬師寺、唐招提寺、平城京跡の側を通るわりと豪華コース。
中高生の帰宅時間にぶつかったらしく、車内はほどほどに混んでいた。
背中に「萌」、腕に「同人誌」と刺繍されたブルゾンを着ている若者がいてびびる。あんなのオタクシティー東京ですら見たことないよ! どこに売ってるの?

尼ケ辻駅のそばを通った時、進行方向に向かって左側に、こんもりした森が見えた。
古墳?
ガイドブックをめくると「垂仁天皇陵」とある。

「おうしまった! あれは垂仁天皇の御陵であったか!」
「なんなの?」
「ある日、垂仁天皇は田道間守に命ずるのです。常世の国へ行って不老不死の妙薬である時じくの香の木の実を採って参れと。これは橘のことであったとされています。田道間守はたいへんな苦労のすえに枝を持ち帰るのですが、時すでに遅く、天皇は亡くなっていました。田道間守は嘆き悲しみ、天皇を後を追うように死んでしまったと言われています」
「へえ。よく知ってるねぇ」
「古事記に載っているお話です。ま、私は山岸凉子の漫画で知ったんだけど」

情報源のだいたい9割くらいが漫画。
ああ、もっとしっかり見ておけばよかった。田道間守の墓もそばにあるというではないか。

■奈良ホテル

近鉄奈良駅のコインロッカーから荷物を出す。
今回の宿は分不相応にも奈良ホテル。なぜなら本多が泊まったからだ!
地図では近そうに見えたので散歩がてら歩いていくことに。
道路を挟んで奈良公園の対岸をホテホテ歩いていると、公園の中に鹿の姿が見えた。今回の旅行における初ジカである。
近づいていって「シカー」「シカ子ー(←勝手に命名)」と呼びかけるとちらとこっちを見たが、食べ物を持っていないことを見抜いてか、さっさと立ち去っていった。

だんだん日が暮れてくる。
行く手の小高い丘の上に奈良ホテルの姿は見えど、なかなかたどり着かない。右手には荒池がひろがる。その向こうには興福寺五重塔がシルエットとなってそびえ、おおなんと鮮らかな日没。


荒池と興福寺五重塔

と、視界のすみにうごめく茶色い影が……。
驚いて「うわっ」と叫ぶと20頭くらいの鹿が一斉にこちらを見た。か、かわいい。
カメラを撮りだして写真を撮ろうとしたが、池のほとりまでぴょんぴょん降りていってしまった。またもシャッターチャンスを逃す。

やっとこさたどり着いた奈良ホテルの横には大乗院庭園跡が。おお、津島佑子の小説(『ナラ・レポート』)で読んだぞ。暗くて何も見えないが。
ロビーには普通に庶民的なお客もたくさんいて安心した。折からの不況で有名ホテルも幅広く門戸を開かないとやっていけないのだろう。


奈良ホテル

建物はさすがに古いが、心許ないくらいふかふかの赤い絨毯、黒い窓枠、和洋折衷なシャンデリアなどが高級感をかもしだして素敵。
通されたのは普通のツインルーム。本多はスーペリアか何か、とにかくきっともっとゴーヂャスな部屋に泊まったのであろうな。まあよい。


桃山風の木彫の枠を施した窓の硝子には、室内の灯が有明の月のように浮んでいるが、白みかけた空の下には、 すでに池をめぐる森のかなたに興福寺の五重塔が際立っている。
三島由紀夫『奔馬』(新潮文庫)p.55



メイク・ベッドされたシーツの三角の折口が白く光沢を放って、大きく折られた本の白い頁のように、スタンド・ランプの薄明りの中に浮んでいる。
同上p.50


しばし部屋でぐだぐだした後、タクシーを呼んでもらって近鉄奈良駅前へ。
お土産屋をひやかした後、老舗の奈良漬け専門店、山崎屋に併設された和食処で夕食。

駅前広場では行基菩薩像がライトアップされていた。地元の子は「1時に行基の前ねー」なんて感じで待ち合わせるのだろうか。


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