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2006.6.17(土)

二日め


朝の奈良ホテル

ホテルの朝食は和食。希望すれば洋食または茶粥に変えることもできるが、とりあえず普通のを食べてみた。
フロントの人に興福寺までの近道を教えてもらい、8時過ぎにホテルを出る。


大乗院庭園跡。
奈良ホテルのすぐ裏にある。復元途中で、なんかとってつけたような橋が…

ホテル附属のチャペルの前を通り、大乗院庭園跡を横目で見つつ、民家の間の細い道を歩いていくと五重塔と猿沢の池が見えてきた。
母がうん十年前の修学旅行で泊まった宿は、猿沢の池のそばの「金波館」という旅館だったそうだが、さすがに今は残っていないようだ。私は修学旅行で奈良には宿泊しなかった。
さて階段を上がっていくと、修学旅行生にシカが群がっている。シカ煎餅屋のおばさんにすりよって頭を撫でてもらってるのもいた。かわいいのう。


わらわら

せんべいくれ

■興福寺


興福寺東金堂


公式サイト

受け付けにて御朱印ゲット。ああ、またスタンプラリー化している。自戒自戒。
興福寺は山階に中臣鎌足が創建した山階を起源とする、藤原氏の氏寺。藤原京に移転したのを鎌足の子不比等がさらに現在の場所に移した。
東金堂には聖武天皇が元正天皇の病快癒を祈願してつくらせた薬師三尊像がある。少し前から外耳炎を患っている母は治癒を願ってお祈り。
興福寺は以前から大規模な修復を勧めていて、寄進を呼びかけていた。母が瓦一枚(千円)寄進。これで外耳炎治るといいね。
五重塔は不比等の娘光明皇后の創建だが、現在建っているのは室町時代の再建。

宝物館へ。なんだかぱっとしない建物…。ここには阿修羅像がいる。
昨日の中宮寺の弥勒菩薩が仏像界を代表する美女ならば、美少年代表はこの阿修羅像であろう。しかし実際に目の当たりにしたら、貴乃花親方にちょっと似ていることに気づいてしまいやや萎えた。
顔はふっくらとしてリアルな肉感があるが、腕は不自然なほど細く、しかも上腕から手首までほとんど太さがかわらない。この細い六本の腕で作られる幾何学的な効果。
壁を背にガラスケースに入って展示されているので、背後に回ってみられないのが残念。


金堂の緞帳。シカ柄。

阿修羅像ばかりが有名だがほかの八部衆も好きだ。これを彫っているとき、仏師は楽しかっただろうなと思う。迦楼羅がかわいい。スカーフを巻いているのもおしゃれだ。
十大弟子像では釈迦の実子でもある羅ゴ羅(ゴは目に侯)が気に入った。ひそめた眉にただよう哀愁がすてき。偉大な教祖の二代目じゃいろいろ苦労したんだろうな……と勝手に推察する。衣の中に腕を入れて直立しているポーズはロダンのバルザックみたい。

どうでもいい話だが、ここの展示で、藤原冬嗣の兄が真夏という名前であることを知った。センスのいい親だ。


五重塔

■率川神社

続いて今回の旅行のメインイベント、率川神社の三枝祭へ。
率川神社は神武天皇の皇后、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)を主祭神とし、その両脇に姫の両親である大物主大神と玉櫛姫命を祀る。
五十鈴姫命が笹百合をつんでいるところに神武天皇が通りかかり見初めたという伝説から、三輪山の笹百合を白酒・黒酒の酒樽に飾って奉納するようになったそうだ。
祭りがはじまるまでにまだ一時間ほどあったが、すでに境内は参拝客でいっぱいになっている。絵馬つきのゆりの造花が売られていたので、とりあえず二人で三本ゲット。

社殿の前には椅子が並べられ、(おそらく)氏子の人たちがそこに座る。椅子の後ろと神社の塀との間のわずかなスペースにわれわれ一般参拝客が立つのであるが、かなりぎゅうぎゅうづめ。
後ろの方では早くもおっちゃん同士の喧嘩が勃発している。
「そこ通せや」「無理や通れへんわ」「通せったら」
祭りの日に喧嘩するなよ……と思うけれど、彼らの気持ちも分かる。私だって苛々するもの。キャパシティーをはるかに超える人が集まっているにも関わらず、通路も設けられていないし人員整理係もいないので混乱するのだ。
率川神社は(五十鈴姫が両親の神様に守られる形でお祀りされていることから)安産・子育ての神様なので、赤ちゃんや小さい子供の姿も多かったのだが、人混みがつらいのかぐずっている子もいた。

そうこうするうちに祭がはじまり、祝詞が聞こえてきた。
聞こえはするが、「アリーナ席の後ろの方」状態なので何も見えない。背伸びをすると、着席している人たちに風を送るための扇風機の後ろ頭が視界を占める。
前の方にモニターがあるのだがやはり小さすぎてよく見えないので、目で見るのはあきらめ、わけがわからないまま指示にしたがって低頭したりしていた。
どうやら舞台の上には笹百合の花で飾られた垂ニ缶が運び込まれたようだ。

白酒を充たした垂ニ、黒酒を充たした缶とは、すでに運ばれるのを待って、美しく装われていた。垂ヘ白木の樽であり、缶は素焼きの壺であるが、いずれも百合におおわれてその形を見せず、一対の百合の花束を樹てたようにしか見えない。
すなわち垂フまわりを、青い強い百合の茎が寸分の隙なく囲んで、これが白く光る苧麻で編まれている。それほど茎がひしひしと束ねられているだけに、花や葉は、蕾をまじえて、入りみだれて、群がり弾けている。
三島由紀夫『奔馬』(新潮文庫)p.58


と、三島先生はおっしゃってます。
続いては祭りのクライマックスである、巫女さんの舞。

乙女たちは、鼈甲色の蕊をさし出した、直立し、ひらけ、はじける百合の花々のかげから立ち現れ、手に手に百合の花束を握っている。
奏楽につれて、乙女たちは四角に相対して踊りはじめたが、高く掲げた百合の花は危険に揺れはじめ、踊りが進むにつれて、百合は気高く立てられ、又、横ざまにあしらわれ、会い、又、離れて、空をよぎるそのなよやかな線は鋭くなって、一種の刃のように見えるのだった。
そして鋭く風を切るうちに百合は徐々にしなだれて、楽も舞も実になごやかで優雅であるのに、あたかも手の百合だけが残酷に弄ばれているように見えた。
同上pp.59-60

と三島先生はおっしゃってますがほとんど見えません。
心の目で見るのだ!とも達観しきれず、人と人の隙間にちらちらする緋の袴や髪飾り、百合の枝をのびあがってなんとか見る。
「全然見えませんねえ」
と母の隣の女の人がつぶやく。
「こんなに混むものなんですね」
と母。
「東京から来たんですよ、このお祭を見るために」
「あらっ私たちもなんですよ。本を読んで…」
「もしかしてあれですか、三島由紀夫の」
「そうそう『奔馬』!」
おう、こんなところに同志が。
「本多さんは前の方に座ってたんでしょうね」
「シゲちゃんね〜、シゲちゃんは招待されたんですものねえ」
シゲちゃんて。(本多=本多繁邦)

カメラを持った腕だけを伸ばして写真を撮ってみたが、こんな写真(←)しか撮れない……。
隣のおじさんもカメラを構えては「駄目だ…」と呟いている。

前の方に立っている若者は携帯で写真を撮ろうとしているようだった。彼がカメラを切り替えた時、待ち受け画面が目に入った。二次元美少女。
さては君、巫女さん萌え〜だね!?
母がこそこそと私に耳うちした。
「見て見て、あの子オタクよね」
シッ! ていうか私たちも人のこと言えないから!(ジャンルが違うだけで立派なオタクです)

玉串奉献がはじまる頃には徐々に人が減っていき、背伸びしなくても祭壇が見えるようになった。疲れた……。


百合、撤収

酒樽が下げられ、氏子の人々が会場に移動してボチボチみんなが帰りかけた頃、「拝殿の前で特殊神饌をごらんいただけます」とアナウンスが入る。
途端に拝殿前にドドドドと殺到する人々。ひぃぃぃ。
人波に押され、なんとかにじりよって笹百合と神饌を拝見。笹百合はピンクがかってこぶりの愛らしい百合だった。近くによるとさすがによい香りがする。

緑と紅のまじった蕾の花は鄙びているが、ひらいた百合も、ごく薄い緑を帯びた花弁の筋々に薄紅いの含羞の色がにじみ出て、そのうちらは煉瓦色の花粉に汚れ、花弁の端は反りかえって乱れに乱れ、しかも花びらは透いて、白光を透かしている。そして乱れながら花の項は悉くうなだれている。
三島由紀夫『奔馬』(新潮文庫)p.58

と、三島先生はおっしゃってます(こればっか)。


手水舎の注ぎ口も百合形です

神饌は餅、鮎、牛蒡、鮑などを確認できた。
後から後から人が押し寄せてくるので適当な所で場所を譲り、後ろに下がる。
以前は笹百合を参拝客に分けていたそうだが、近年参拝客が急増したので取りやめになったそうだ。確かに、神饌見るだけでこれだけ押し合いへし合いになるんだから、百合を配るなんてことになったら人死にが出ると思う。

お昼を挟んで午後からは「百合姫」やお稚児さんたちの行列があるはずだった。
三条通沿いのモスバーガーで待機していると、ぽつぽつと雨が。見る見るうちに本降りになってきた。
予定の時間になっても行列が通る気配はない。
神社に戻ると、お稚児さんの格好をした男の子とお母さんらしき女性が佇んでいたので声をかけてみると、やはり中止になったとのこと。残念だがしかたない。
近鉄奈良駅から電車に乗って薬師寺へ向かうことに。


垂仁天皇陵の撮影に成功。
御陵左前に見えるこんもりした小山が田道間守のお墓。


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