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スペイン・トルデシーリャスに建つ、大航海時代の女王フアナ1世の像。
作者はイポリート・ペレス・カルボ Hipolito Perez Calvo、2003年に設置された。
トルデシーリャスはドゥエロ川沿いに開けた古い町である。1325年にアルフォンソ11世によって最初の宮殿が築かれ、15世紀にはしばしばコルテス(身分制議会)の開催地ともなった。
フアナ女王は27歳から74歳で亡くなるまでおよそ半世紀にわたってこの地に暮らした。一国の君主がこれほど長きに渡って一カ所に留まった例は他にないという。女王が住んだ宮殿は現存しないが、アルフォンソ11世〜ペドロ1世時代の宮殿がサンタ・クララ修道院となって見学者に公開されている。


カンティーノ図上に記載されたトルデシーリャス条約の境界線

世界史上においてトルデシーリャスの名を高めているのは、なんといっても1494年にこの地で締結されたトルデシーリャス条約だろう。これは世界を西経46度37分の経線に沿って二分割し、線の東側の新領土はポルトガルに、西側はスペインに属すると取り決めたもので、1494年にカトリック両王(アラゴン王フェルナンドとカスティーリャ女王イサベル)とポルトガル王ジョアン2世との間で締結された。しかし、特にアジアの領土でこの条約がどのように適用されるのか不明瞭だったことや、ポルトガル・スペイン以外の国家が領土獲得争いから締め出されたことから、後にさまざまな混乱や衝突を引き起こすこととなった。

アレクサンデル六世が簡単に世界を東西の領域に分けたとき、地球がまるいということを知ってはいたが、その実感はまだ薄かったのである。それでポルトガルが東、スペインが西へ進んだとき、何処かで再び出会って衝突しなければならなかった。この衝突の場が、政治上ではフィリピンであって、宗教上では日本であった。
H.チースリク『キリシタン史考――キリシタン史の問題に答える』p.223(聖母の騎士社)


現在のトルデシーリャスはバリャドリッド県に属し、人口は約9000人。農業と観光業が基幹産業である。
毎年夏に開催される祭りではフアナ女王をテーマにした歴史劇も上演される。




トルデシーリャス訪問記(2005.9.27)



(2008/08/26更新)



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