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2003.9.25(木)

五日目
帝都への帰還〜そして太宰終焉の地へ〜

金木の生家では、気疲れがする。また、私は後で、こうして書くからいけないのだ。肉親を書いて、そうしてその原稿を売らなければ生きて行けないという悪い宿業を背負っている男は、神様から、そのふるさとを取りあげられる。所詮、私は、東京のあばらやで仮寝して、生家のなつかしい夢を見て慕い、あちこちうろつき、そうして死ぬのかも知れない。
(『津軽』p.117〜118)

午後1時過ぎの電車で青森を出発した。
「はやて」が開通したとは言え、県下の大都市である青森市へも、弘前市へも、まだ新幹線の線路は延びていない。八戸までは在来線を乗り継いで行くことになる。東京から青森までとなると、だいたい5,6時間かかる計算である。
それでも太宰の時代に比べたら津軽は格段に近くなったというべきなのだろう。太宰は上野から15時間ほどもかけて青森まで旅している。
『津軽』の旅の翌年、戦争の激化に伴って疎開を余儀なくされた太宰は、今度は妻子を連れてふたたび故郷を訪れる。すでに作家として名をなしていた彼にとって、久しぶりに過ごす実家での日々はそれなりに楽しいものであったらしい。
しかし戦争が終わって、三鷹に帰っていった彼が、二度と故郷の地を踏むことはなかった。太宰が山崎富栄とともに玉川上水に入水して果てるのは帰京から約二年後の1948年6月13日のことである。

三鷹駅に降り立った時には19時になろうとしていた。私の足もと、ホームの下には玉川上水が流れる。太宰が身を投げたその流れが、今は細くなりながらも静かに流れ続けている。
入水地点まで行ってみようかと思ったが、すぐに考え直した。荷物をひきずって長い距離を歩く自信はなかったからだ。それに、すでに空は暗くなっていて、上水の流れも見えそうになかった。

「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」 太宰治


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