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滯英日記 >> ハワース(1)

2011.9.17(土)

ハワース Howarth

天気予報はやはり雨。朝の時点ではかろうじて降ってはいなかったが、いつ崩れてもおかしくないようなどんよりとした空だ。こんな天候でハワースの荒野をさまよえるのだろうか。
ホテルで朝食をとって、リーズ駅へ向かう。ハワースへ行くには、リーズからキースリーへ鉄道で行き、ワースバレー鉄道に乗り換えるのと、バスに乗り換えるのと、二つの方法がある。とりあえず9:26発のスキップトン行きの電車に乗った。
キースリー駅につくと本格的に雨が降り始めていた。ホームは雨ざらしなので、電車を待つ人たちが階段の屋根の下で肩を寄せ合っている。
ワースバレー鉄道には蒸気機関車も走っているのでタイミングが合えば乗ってみたかったのだが、ちょうどいい便がなかった。傘をさしてバスステーションまで歩く。
キースリーのバスステーションは鉄道駅よりずっと規模が大きく、多くの乗客でにぎわっていた。
ハワース行きのバス路線は複数あるが、時刻表を見ると916のバスが一番早く来るようなので、916が発着する1番のバス停で待つ。しかし、遅れているのか時間になってもバスが来ない。
立ち上がって道路のほうを伺っていると、地元の人らしきおじいさんが「どこへ行きたいのか」と話しかけてきた。
ハワースだと答えると、「それならこのバス停じゃない。500番の路線だ」という。
「案内するからついておいで」
おじいさんは私を500のバスが発着するバス停まで案内して去っていったが、どうも得心がいかない。電光掲示板には、次のハワース行きは916、1番のバス停と確かに出ているのだ。500番の路線も確かにハワースに行くのだが、あと30分くらい待たないと来ない。
もう一度1番のバス停に行ってみるとちょうど916のバスが来ていた。運転手さんに聞いてみるとやはりハワースに止まるという。無事に乗り込み出発。あのおじいさんも親切のつもりだったのだろうが、ありがた迷惑なことであった。

バスはキースリーの町を抜け、やがて田舎道を走り始める。ふと見ると遠くに広がっている斜面、あれはまさしくムーアではないか。
遠くで風車が回っている。やがて一時的に雨がやみ、褐色の丘陵に日差しが差す。こうなるとまさに神々しいとしかいいようのない風景が眼前に現れるのだった。地元のおじいちゃんおばあちゃんばかりのバスの中で、ひとり静かに感動する。
ハワースの「メインストリート」で降りると、すぐ目と鼻の先に今夜の宿泊先、The Old Registryがあった。その名が示すとおりかつて登記所として使われていた建物だ。ベルを鳴らすと20代とおぼしき女主人が出てきた。チェックインは15時からなので荷物だけ預かってもらい、散策を始める。

メインストリートは急勾配の坂で、両側にパブやティールームや土産物屋が並んでいる。昇りきると、そこが村の中心部だ。


ブロンテ姉妹の父パトリックが牧師を務めていた教会、一家が住んだ家、シャーロットが教師として教えていた学校、ブロンテ家の長男パトリック・ブランウェルが行きつけにしていたパブBlack Bull、同じく薬局などが半径100メートルほどの狭い範囲に集中している。

■ハワース・パリッシュチャーチ Haworth Parish Church

まずは教会に入ってみる。
パトリックが勤めていた当時の建物ではないが、主祭壇左手に「ブロンテ・チャペル」なるものが設けられており、一家のメモリアルもある。

ブロンテ・チャペル 

建替え前の教会では、このあたりに一家専用の礼拝席があった。

エミリとシャーロットのメモリアル

この柱の下の地下納骨堂にアンを除く
ブロンテ家の人々が眠っているという。

■墓地 Graveyard

教会の外には村の人々のための墓地が広がっている。鬱蒼とした木々に覆われた、メランコリックな風情の墓地だ。
入り口に、ブロンテ家ゆかりの人々の墓所を示す案内板が設置されていた。

ブランウェルの友人だったジョン・ブラウンとその娘マーサの墓。
マーサは女中として牧師館に勤め、妻子に先立たれたパトリックを看取った。

牧師館の女中だったタビサ・アクロイド(通称タビー)の墓。
彼女は84歳で亡くなるまで実に30年にわたって一家に仕えた。

 

墓地の中でひときわ目立っていたHeaton家の墓。
2歳で死んだ男の子と6週間で死んだ女の子が父母とともに葬られており、彼らに捧げたものか、天使のような幼児の像が彫られている。

墓地の中では、めんどりが一羽歩き回っていた。





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