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滯英日記 >> カンタベリー

2011.9.23(金)

カンタベリー Canterbury

今日はちょっと足を伸ばしてカンタベリーに行くことにする。
ヴィクトリア駅から9:22発の電車でカンタベリー・イースト駅を目指す。電車はFavershamで前4両と後ろ3両に分かれるタイプで、自分が乗っている車両が本当にカンタベリーにつくのかどうか少し不安だった(車掌さんに確認はしたが)。
最初は快適な旅だったが途中で子供の集団が乗りこんできた。歌ったり壁を蹴ったり走り回ったりうるさいことこの上ない。先生が注意してもまったく聞かないところがすごい。
「欧米の子供は日本人の子供と違って公の場で騒いだりしない」という説を時たま耳にするが、私の乏しい海外滞在経験から結論づけるに、この説は嘘である。旅先でうるさい子供の集団に出会ったのは一度や二度ではない。
子供たちはロチェスターで降りて行った。窓の外に目をやると、大きく湾曲した川に沿って古城らしきものが見える。なかなか良さそうな町だと思った。
Favershamを過ぎるといよいよカンタベリーは間近である。列車は林檎畑を突っ切って走る。背の低い林檎の木々の向こうに町が見えてきた。

■カンタベリー城址 Canterbury Castle

カンタベリー・イースト駅にて下車し、歩道橋を渡ると、目の前に美しい城壁が現れる。小さな公園を通って、まずは町外れにある城址を訪れた。
説明板によるとこの城は1080年に建造開始。もともとウィリアム1世が1066年に建てた古い要塞のかわりに建てられたそうだ。塀はローマ時代の城壁を利用しているという。
城のほとんどの部分は崩れ落ちているが、数箇所だけ階段が設けられており、塔の二階部分に昇ることができた。

■カンタベリー大聖堂 Canterbury Cathedral


クライスト・チャーチ・ゲート

建物の間から見え隠れしているカテドラルの塔を目指して歩いていくと、町の中心部に出た。商店や飲食店が立ち並ぶ活気ある一画に、大聖堂の表門にあたるクライスト・チャーチ・ゲートが建っている。
クライスト・チャーチ・ゲートの上にはいくつかの紋章と徽章が掲げられている。イングランド王家の紋章を中心に、右側にテューダー・ローズ、左側にボーフォート家の落とし格子。キャサリン・オブ・アラゴンの紋章があったのでヘンリー8世の時代にできたものかと思ったが、帰国後に調べたところによると、大聖堂の最後のパトロンであったアーサー王太子(キャサリンの前夫)に捧げられたものであるそうだ。
この門で入場料を払って敷地内に入る。

大聖堂内部は日本人の母娘とバックパッカーっぽい男性ふたりがいるくらいで、閑散としていた。日本語のオーディオガイドを借りて回る。



1503年に完成したベル・ハリー・タワーを見上げる

窓を大きくとったゴシック様式の聖堂の内部には光が差し込み、飴色にかがやいていた。
カンタベリー大聖堂は12世紀の大司教トマス・ベケットの殉教した場所であり、イングランド一の巡礼地として知られた。チョーサーの『カンタベリー物語』は、カンタベリーへの巡礼の旅の途中、宿に居合わせた人々が、それぞれ面白い話を語る、という体裁をとっている(私は未読だが)。
ヘンリー8世の宗教改革後、大聖堂もカトリックから英国国教会に宗旨替えさせられたが、それでも現在に至るまで、人々が聖地カンタベリーに寄せる崇敬の念は変わらないと見える。

北西の翼廊には三本の剣をかたどった記念碑が置かれている。トマス・ベケットの殉教地を示すもので、彼はここで祈りを捧げている最中に、ヘンリー2世の配下の騎士たちに襲撃され、命を落とした。

記念碑のそばの入り口からクリプトに入ることができる。内部は撮影禁止。ロマネスクとゴシックが混在した様式で、ロマネスク期のものと思われる壁画が色鮮やかに残っていた。

《トリニティ・チャペル》

ふたたび地上に上がり、トリニティー・チャペル、コロナと呼ばれる教会の最奥部を見学する。
トリニティー・チャペルはトマス・ベケットの墓所で、かつてはその霊廟があったそうだが、ヘンリー8世の時代に破壊された。この時、中世の時代のステンドグラスなど多くの貴重な遺物が失われたと言われている。今は床の上に蝋燭が一本灯されており、それによってベケットの墓所を示している。
ベケットの聖なる墓所を囲むように、何人かの貴人の墓碑が置かれている。祭壇向かって右側に安置されているのがエドワード・オブ・ウッドストック、通称エドワード黒太子の仰臥像である。本人はクリプトに埋葬されることを望んでいたが、あまりにも人気者だったためにこうして地上に麗々しい棺を安置されることになった。武人らしく、鎧をつけた姿で横たわっている。彼が黒い鎧を身につけて戦ったという伝説に基づき、ヴィクトリア時代にはこの像も黒く塗られていたが、20世紀に入って、本来の真鍮色に戻されたそうである。

黒太子の棺の頭上には彼の武具や衣装が飾られている。これは実はレプリカで、本物は背後の壁の高いところにガラスケースに入って展示されていた。

トリニティー・チャペルを挟んで黒太子の反対側にはヘンリー4世とその二番目の妻であるジョーン・オブ・ナヴァールの棺がある。ヘンリー4世はランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの長男で、エドワード黒太子の息子リチャード2世を廃して王位についた。

左上の壁に目を転じれば、エドワード4世と妻エリザベス・ウッドヴィルの姿を描いたステンドグラスがある。エドワード4世はヘンリー4世の孫にあたるヘンリー6世から王位を奪った人物である。その傍らには「ロンドン塔の二王子」や、のちにヘンリー7世の妻となる長女エリザベス・オブ・ヨークの姿も見える。
プランタジネットの簒奪劇の主人公たちがこうして一同に会していることを、皮肉にも、また興味深くも思う。


エドワード黒太子の妻ジョーン、通称フェア・メイド・オブ・ケントの像が北の身廊のどこかにあるはずなのだが、どうしても見つからなかった。腕章をつけた人に聞いても知らないと言われてしまう。後で知ったが、修復のため外されていたようだ。


中世のステンドグラス

《回廊》

大聖堂はかつてベネディクト会修道院の一部だったため、現在も美しい回廊が残っている。天井にはイングランド王族や貴族たちの紋章、顔をかたどった飾りなどが見られる。


教会の外壁にはプランタジネットとテューダーの主だった王の像が設置されていた。ただしヴィクトリア時代のものである。妙に豊満なエリザベス1世やヴィクトリアン美少年なエドワード5世に違和感を禁じえない。


 左:エドワード5世
 中央:左から ヘンリー7世、エドワード4世、ヘンリー6世
 右:エリザベス1世


空腹を感じたのでメインストリートに戻り、店を物色する。イングランド名物(?)フィッシュ&チップスをまだ食べていなかったことに気づいたので、コーラと一緒に買ってみた(ジャンクな食事にはジャンクな飲み物を)。まずい料理の代表格のように言われているが、揚げたてだったせいか、それほど悪い味とは思わなかった。
お昼時ということもあり、町は若者や親子連れで賑わっている。カンタベリーという町は規模は決して大きくないが、過去の栄光をひきずる観光地ではなく、今なお活気ある庶民の生活の場であるらしい。

■カンタベリー・テイルズ Canterbury Tales

フィッシュ&チップス屋のとなりにある「カンタベリーテイルズ」というアトラクションに入る。受付のおじさんに学生ですかと問われたのでNoと答えると「あなた、正直だねえ」と言われる。嘘をつけば学生料金で入れてくれたのだろうか…。
ここはカンタベリー物語を音声と人形で再現している施設で、立体紙芝居みたいなもの…と言えばいいのだろうか。何人かで1グループになってオーディオガイドを聞きながら、部屋をひとつひとつ進んでいく。オーディオガイドは各国語が用意されており、日本語もちゃんとある。
カンタベリー物語を読んだことがないというのもあって、どの物語も新鮮でおもしろかった。ところどころ笑いが起きる場面も。

■聖オーガスティン修道院 St. Augustine's Abbey

城壁の外側には6世紀に聖アウグスティヌスによって建てられた修道院跡が残っている。例によってヘンリー8世の時代に破壊され、現在は廃墟となっている。しかし、9月は土日のみの開館のようで、内部に入ることはできなかった。しかたなく柵のすきまから写真をとる。

15:32の電車でロンドンへ戻る。睡魔に耐え切れず眠ってしまう。通路はさんで隣に座っていたお兄さんもつっぷして寝ていた。


カンタベリー市内にあった謎の看板


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