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滯英日記 >> ボズワース(1)

2011.9.12(月)

ボズワース Bosworth

ボズワースの戦いとは、ヨーク派の国王リチャード3世と、ランカスター派の後継者を自任し、王位を請求したリッチモンド伯ヘンリー・テューダーとの間で行われた戦闘のことである。
結果としてリチャード三世は戦死し(彼は戦場で死んだ最後のイングランド王だという)、勝利したヘンリー・テューダーは直後にヘンリー7世として戴冠した。
つまりボズワースはプランタジネット朝が終わり、テューダー朝が始まった所。日本史で言うなら関ヶ原だろうか。レスターの西20キロほどの所にある。

■白猪亭跡 White Boar Inn


ボズワースに経つ前に、ホテルから程近い場所にあるRichard III パブを見に行った。
リチャード3世が最後に宿泊した場所である(なぜレスター城に泊まらなかったのだろうか?)。
薔薇戦争当時はWhite Boar Innという名のインだったが、リチャードがヘンリー・テューダーに斃された後、Blue Boar Innと改名された。White Boar(白猪)はリチャード3世の徽章なので憚ったのだろう。
つづいて昨日BBCの撮影でゆっくり見学できなかったカテドラルへ。しかし8時半からの礼拝が始まってしまったので、異教徒はおとなしく退散。今回も写真は撮れなかった。

ボズワース行きのバスはホテルのすぐ前のバス停からも出ているようだが、小銭がぜんぜんなかったので、街の中心部で水などを買ってお金を崩し、BBのバス停を利用した。
運賃は2.70ポンドだったがお釣りが出ないというので3ポンド支払う。
二階席の一番前を陣取り楽しい旅。バスは昨日見たボウ橋を渡り、「リチャード3世通り」をひた走り、一路ボズワースを目指す。リチャードが戦いに赴く時に通ったのもこの道なのだろう。
郊外に出ると、まさに「イギリスの美しい村」という感じの、小さな庭を備えたれんがの家が並ぶ。こういう所に生まれていたらどんな人生だっただろうかと思う。案外アニメオタクになって「日本に行きたい」とか言ってたりして。

■聖ピーター教会 St Peter’s Church


一時間ほどでマーケット・ボズワースのバス停に到着。十字路を中心にお店が立ち並んでいる。ボズワースの古戦場跡にあるヘリテイジセンター(博物館のようなもの)まではここから3マイルほどの距離だという。
その前に、小さな教会が見えたので入ってみた。薔薇戦争に関するものが何かないかと探してみたが、リチャード3世とヘンリー・テューダーの軍旗が飾ってあるのみ。

■古戦場へ


サットン・レーン


古戦場方面に向かうサットン・レーンを見つけ出し、歩き出す。最初のうちこそ家が立ち並ぶ普通の車道だったが、途中から畑や放牧地を突っ切る農道みたいな細い道に変わる。本当にここでいいのか…と不安に思いながら歩を進める。3マイル歩くと聞いて「治安とかは大丈夫なのだろうか」と思っていたのだが、こんな所で待ち伏せする追い剥ぎもいなかろうという風景である。


ずっとこんな風景


この日は天気は良かったが風が非常に強く、のんびりウォーキングというわけにはいかなかった。人の姿はまったく見えず車もほとんど通らない。ゴーッと音がして車が来たのかと思い振り返ると風の音だったりした。
サットン・レーンには微妙にアップダウンがあった。汗をかきかき丘の上まで登って振り返ると先ほどの教会の尖塔が見える。行き先を見ても、目印になるようなものは何もない。ただひたすらに畑と牧場が広がっている。方角はあっているはずなのだが、少し不安になる。
しかしボズワースの古戦場を訪ねる者にとっては、何よりもまずこの広い野原を歩くことにこそ意味があるのではないか、と思う。目安としていちおうセンターを目指してはいるわけだが、センターは最近作られた博物館に過ぎない。
(近年の研究では、戦いが行われたのはここよりもっと南西の地域だという結果が出ているそうだが、考えないようにする…)
私はいつもこうやって知らない土地の知らない道を、誰かを思いながら(誰なのかはその時々で違うけれど)独りで歩いている気がする。こういう風に生きて死んでいくのだろう。

そのうちに舗装された道路とぶつかった。曲がり角に矢印形の標識があり、その真ん中に剣がクロスした形の図が描かれている。やはりこの方角で間違っていなかった。
矢印に従って右折し、しばらくいくとまた「Tourist information center→」の標識。こうなると足取りも軽くなる。坂を登り、また下ると、ついに大きな看板が見えてきた。








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