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東方への旅 >> ツェレ(2)

ツェレ Celle


■再び旧市街


城のガイドツアーの時間をチェックし、旧市街へ出た。日曜なのでほとんどの店が閉まっており、ゴーストタウンのようだ。その上雨が降り出した。さっきまであれほど晴れていたのに。傘の中に身を縮めるようにして、街の中をうろうろする。


木組みの建物が上階に行くほどせり出しているのは、一階の面積で税金の額が決まったからなんだとか。
ガイドブックに「必見」と書かれていたホッペナーハウスと旧市街で一番古い家を探す。
ホッペナーハウスはなんなく見つかった。煉瓦色を基調に緑でアクセントがつけられ、人なのか怪物なのか妖精なのかさっぱり分からない人々の姿がびっしり彫刻されている。ファサードには金字で麗々しく1532年という建造年(たぶん)が書かれている。一階には洋服屋さんが入っていた。


ホッペナーハウス


ライオンが持つのはリューネブルク侯領の紋章


「一番古い家」は旧市街の外れ(といっても旧市街の範囲が狭いのでたかが知れているが)にあったので探すのに手間取った。やっと見つけたその家は心もち傾いていた。大丈夫か一番古い家。こちらは1526年とある。やはり一階に洋服屋さんが入っていた。


右端が一番古い家


■城 Schloß


中庭

城にもどり、ガイドツアーのチケットを買おうとするとガイドなし見学なら5ユーロで入れるという(ガイドツアーは6ユーロ)。どうせドイツ語の説明を聞いてもちんぷんかんぷんなのでそれで行くことに。

階段を上がるとすぐにホールがある。入り口にはガラス状のスクリーンがあり、踊る人々の絵が投影されてくるくる回っていた。
ホール内部はきれいに改修されていて、古い彫刻が申し訳程度に展示されている以外は昔の面影はあまりない。コンサートなどに利用されることがあるのか、椅子がならんでいた。

ツェレを治めたブラウンシュヴァイク=リューネブルク公および公妃の居室はバロック様式。部屋に入る前にフェルトの大きなスリッパを渡され、それを靴の上から履いて見学するように言われる。木の床をいためないためだろう。スリッパが脱げないように注意しながら床の上をスルスル滑って移動する。


公妃の寝室



ゾフィア・ドロテア

特にゾフィア・ドロテアとカロリーネ・マティルデにスポットライトを当てた展示が行われていた。曾祖母と曾孫の関係にあたる二人だが、ともに不倫がバレて幽閉されちゃったという共通点を持つ。ゾフィア・ドロテアはツェレを都とするブランシュヴァイク=リューネブルク公国の公女であることから、またカロリーネ・マティルデは嫁ぎ先のデンマークを追放された後、死ぬまでこの城に住んでいたことから、それぞれこの地にゆかりがある。


左からデンマーク王クリスチャン7世、王妃カロリーネ・マティルデ、王妃の愛人ストルーエンセ


カロリーネ・マティルデの長男フレデリク6世と長女ルイーセ・アウグスタ
ルイーセ・アウグスタはストルーエンセの子という噂

英国王女だったカロリーネ・マティルデがツェレで後半生を送ったのはもちろん兄のジョージ3世がハノーファー選帝侯を兼ねていたからだが、彼女の不貞行為を恥じた英国が本土への帰国を許さなかったという事情もあるようだ。
彼女は悲劇の王妃とか言われているが、小ヴェルサイユといった趣のこの城は小さいながらもなかなか住み心地がよさそうで、愛人のストルーエンセが斬首の上八つ裂きにされたことに比べたら、まあマシな余生を送ったほうではないかと思う。少なくとも囚人にしては上等な部類だ。
このようについついカロリーネ・マティルデに厳しい見方をしてしまうのは、こうして城の中を歩いていても、さっきベルゲン=ベルゼンで見た写真や映像が頭から離れないからだと思う。
アンネ・フランクは1944年4月6日の日記の中で、自分趣味として「書くこと」の次に「系図調べ」を上げている。当然、ゾフィア・ドロテアやカロリーネ・マティルデについてもよく知っていたはずだ。

これまでに、見つかるかぎりの新聞や本、パンフレットを総動員して、フランス、ドイツ、スペイン、イギリス、オーストリア、ロシア、ノルウェー、オランダなど、各王室の系図を調べました。多くの点で、調べはずいぶん進んでいます。もうずっと以前から、伝記とか歴史の本を読むたびに、目についた記述をメモしたり、ときにはその一節をそっくり書き写したりしてきましたから。
三番目の趣味は、したがって、歴史になります。いままでずいぶんおとうさんにその分野の本を買ってもらいましたけど、いつか公立図書館に行って、山のような書物を片っ端から調べられる、そういう日がくるのが待ち遠しくてなりません。
 『アンネの日記』(p.435)


私もアンネくらいの年の頃に、同じような趣味を持っていた。自分で稼げるようになったら海外旅行に行って、歴史の舞台を実際に歩いてみたいと思い描いていた。そしてとりあえず、私の夢は実現された。
アンネ・フランクがこの城を訪れたらどんな感想を持ったか想像してみる。たとえばこんな場面はどうだろう。戦争が終わり、収容所から生還したアンネ・フランクはすっかり健康を取り戻して美しい大人の女性になっている。今日は休暇を利用して、少女の頃に書物で知った悲劇の王妃ゆかりの城にやってきた。
私は質問する。ゾフィア・ドロテアとカロリーネ・マティルデについてどう思う? アンネは女性の権利についても関心を持っていたから、王妃たちの軽率さを認めながらも、自分の不貞を棚に上げて妻を追放したジョージ1世やクリスチャン7世を非難するだろう。あの饒舌な調子で、ユーモアを交えながら厳しく男たちを糾弾するだろう。
むなしい想像だ。アンネ・フランクはこの可憐な城からほんの20キロ程度しか離れていない場所で非人間的な死を遂げた。パリやロンドンに行きたいという夢(戦時中でさえなければ、ヨーロッパに生まれた彼女にとってそれは決して難しいことではなかったはずだ)はおろか、公立図書館に行って資料を調べたいというささやかな希望さえ、ついに叶うことはなかった。

外に出ると、雨は本降りになっていた。帰り際に振り返って城を眺める。左の塔がバロック、右がルネサンス様式だというが、そこまではっきりした様式の違いは感じられず、なんとなくアンバランスな印象を受けるくらいである。


城の向かいのボーマン美術館のカフェに入ってラテ・マキアートとりんごのトルテを注文。冷えた体が温まるのを感じる。トルテも甘すぎず美味しかった。
一時間ほど長居してホテルに帰った。テレビでは先だって電車に飛び込んで亡くなったロバート・エンケ選手の追悼式典の様子をずっとやっていた。


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