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東方への旅 >> ラーフェンスブリュック強制収容所(1)

2009.11.18(水)

ラーフェンスブリュック強制収容所 Gedenkstätte Ravensbrück

■Fürstenbergへ

7時に起床し、朝食を取りに6階に上がっていく。
食堂の外はちょっとしたバルコニーのようなスペースがあり、テーブルと椅子が置かれている。気候の良い頃ならそこでカイザー・ヴィルヘルム教会を眺めながら朝食を取ることもできるようだ。

今日はラーフェンスブリュックとザクセンハウゼン、二軒の強制収容所を訪問しなければならない。ガイドブックには「朝早くに行動開始すればはしご可能」と書かれていたが、なかなかタイトなスケジュールになりそうである。
ラーフェンスブリュックの最寄り駅はFürstenberg(Havel)。Zoo駅の券売機で経路を調べると、Sバーンで中央駅まで行き、そこで8:43発のRE33104に乗り換えよとのこと。
中央駅で少し時間の余裕ができた。数日前から手がガサガサに乾燥して辛かったので、構内のRossmannでハンドクリームを買う。おやつとしてHanutaというチョコレート菓子の小袋も購入。Hanutaは妹の大好物で、彼女はドイツに行くたびにこのお菓子を大量に買いこんでくる。ビックリマンチョコをもっと分厚くした感じ、といえば、ある年代以上の方には分かってもらえるだろうか。確かに美味しいのだが、日本未発売なのだ。
Rossmannの向かいのKaiser'sにはHanutaの大袋が売られていた。ここで妹へのお土産を調達しようと考える。

RE33104は6番線から出ると書かれていたので、早めにホームに行きベンチに座って待つ。電車はなかなかやって来なかった。電光掲示板には何やら文章が出ているが、「5」と「6」という数字以外まったく読めない。遅れているのだろうか? そうこうしているうちにもう出発時刻である。
振り返ると、隣の5番線に電車が止まっていた。行き先表示は私が乗ろうとしている電車と同じ。不審に思って良く見ると、車体横に「RE33104」の文字がある。
瞬間的に電光掲示板の文章の意味を理解した。「発車ホームは6番から5番に変更になりました」と書かれているのに違いない。慌てて飛び乗ると、間髪いれず電車が動き出した。
あやうく乗り遅れるところだった。これを逃したら次は一時間後なのだ。
言葉がまったく分からない国を旅するのは大変だとこの時つくづく思った。ドイツはジャパニーズイングリッシュも通じやすいし、人も親切で旅行しやすい国だけれど、文字をぱっとみて視覚的に意味が分からないのはやはり不便である。

9:42にFürstenbergに到着。時刻表で帰りの電車の時間をチェックする。ベルリン方面行きは毎時16分に出ているようだ。
Fürstenbergの駅は落書きだらけの無人駅でちょっとガラが悪かったが、駅前には平和な風景が広がっていた。ここからは徒歩40分の徒歩の旅。雨が降っていなくてよかったと思う。天気さえよければ知らない街を歩くのは楽しいのだ。
ガイドブックのアバウトな地図に一抹の不安はあったが、通りの名前を確認しながらラーフェンスブリュックを目指す。
地図に従って線路と平行に走る通りを左方向に進み、最初の角を右折すると、落ち着いた住宅街になっている。家々の戸口にはリースが飾られていた。Forstmuseumと書かれた小さな博物館がある。
突き当たりの道を左折してさらに進む。ここからは車の通りの多い広い道で、道路沿いには民宿がたくさんあった。
大きな十字路を右折すればあとは道なりに進むだけだ。
だんだん家の間隔が広くなっていく。

■モニュメント

 


二股に分かれた道の中央に銅像が立っていた。ラーフェンスブリュックの女囚たちが担架を運ぶ姿が表現されている。担架に乗せられているのは子供であるらしく、細い足が布の下から覗いている。すでに命が絶えているのかもしれない。やせ衰え、打ちひしがれた女性たちは、重い足取りでどこかに向かおうとしている。


銅像の右側を通る道に進路を取り、さらに進むと今度は前方に戦車が現れる。ラーフェンスブリュックがソ連軍に解放されたことを記念するモニュメントであるらしい。
ここで先生に引率された中学生らしき一団とすれ違った。ラーフェンスブリュックを見学してきた帰りだろうか。

■スーパーマーケットの廃墟

次に見えるのは打ち捨てられたスーパーマーケット。
91年に大手スーパーマーケットチェーンのKaiser'sが出店しようとして建物を作ったのだが、場所が場所だけに、激しい反対運動が起こった。結局出店計画は頓挫し、今も空き店舗のままに残されているというわけだ。
ここも収容所の見学ポイントのひとつになっているようで、案内板が置かれていた。
しかし、いかに目と鼻の先に強制収容所跡地があるとはいえ、地元の人にとってはここが生活の場であるのも事実。ここまで歩いてきて、水や食べ物を買える店がほとんど見当たらなかったことを思うと、土地の人はスーパーの開店を歓迎したのではないかと想像する。
道の右側は林になっていて、木々の間からちらちらと湖が見える。その上から冷たい風が吹き渡ってきて、私は襟をかきあわせた。
正面にラーフェンスブリュックの塀が見えてきた。


インフォメーション


門の右手にあるインフォメーションに入る。ベルゲン=ベルゼンやノイエンガンメ同様、ここの建物も真新しい。内部には小規模な書店があって、カフカの恋人だったミレナ・イェンスカや、ユダヤ人に隠れ家を提供したコリー・テン・ボームら、有名な被収容者の本が売られていた。
地図を買って強制収容所の門をくぐった。


SS司令部



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