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2003.9.24(水)

四日め

■弘前


旧弘前市立図書館

駅のロッカーに荷物を預けて弘前観光に繰り出す。駅は工事中で、仮の駅舎が建っていた。
駅前から出ている一律100円の巡回バスに乗り込む。観光用だが地元の人も利用しているようだ。
古いメインストリートとおぼしき通りを行く。ふるぼけた時計塔があったりノスタルジックな街並みだが、ここも改装中のようす。

弘前城前で降り、追手門の向いにある追手門広場の観光案内所へ。地図を入手し、まずはすぐとなりにある弘前文学館へ入った。
太宰、寺山、善蔵、紅緑などお馴染みの作家の写真や生原稿などの資料が並ぶ。太宰の長兄文治と佐藤紅緑は、地元の会合などでときたま顔を合わせると、不良青年を身内に持った者どうしということで話がはずんだそうだ(紅緑の長男サトウハチローもまた札付きの悪童であった)。
文学館のならびには洋風建築の旧弘前市立図書館、旧東奥義塾外人教師館がある。チケットは共通で、りんごのスタンプを押してくれる。

これらを建築したのは大工の神様と言われ、斜陽館を含む多くの近代建築を手がけた棟梁・堀江佐吉だ。一般に東北には洋風建築が多いと言われるが、中でも空襲にやられなかった弘前には至る所にこのような文化遺産が残っている。


まず図書館を見学。ルネッサンス様式を模し、八角形の尖塔を持つ西洋建築だが、木造のどこか柔らかい風合い、白壁と深い焦茶のコントラストがどことなく和風。
客は私一人だ。

←婦人読書室

続いて外人教師館へ。外観こそ図書館より地味だが、内部には家具が配置され、かつての内装を再現してある。
しかもそれらは触るも座るも自由だというので、喜び勇んで変なポーズの写真を撮りまくり、デジカメの電池を無駄に消費する私。他に客がいないからってやりたい放題だ。


お母さまは、何事も無かったやうに、
またひらりと一さじ、
スウプをお口に流し込み

観光案内所の土産物屋をひやかしたあと、追手門を通って弘前城の構内に入る。
堀の廻りにはずらりと桜の木が植えられており、春はさぞかし壮観であろうと思う。
弘前城は小ぶりながら三層三重で、天守を持つ城としては東北唯一のものであるとのこと。


弘前城

内部はちょっとした博物館のようになっており、津軽家ゆかりの鎧などが展示されている。階段の途中に藩の名前と石高を表にしたものが貼ってあったので、自分の故郷の名を探してみた。一万一千石だった。微妙。
天守にも上がってみたが身をかがめないと外が見えないようなつくりになっているので、見晴らしはそれほど良くない。
公園の中でも弘前城のあるあたりは少し高台になっている。その端に立ち、眼下の家々、その向こうに岩木山を望む。旧制弘前高校時代の太宰が見たのと、同じ風景のはずである。

あれは春の夕暮だったと記憶しているが、弘前高等学校の文科生だった私は、ひとりで弘前城を訪れ、お城の広場の一隅に立って、岩木山を眺望したとき、ふと脚下に、夢の町がひっそりと展開しているのに気がつき、ぞっとした事がある。私はそれまで、この弘前城を、弘前のまちのはずれに孤立しているものだとばかり思っていたのだ。けれども、見よ、お城のすぐ下に、私のいままで見た事もない古雅な町が、何百年も昔のままの姿で小さい軒を並べ、息をひそめてひっそりうずくまっていたのだ。ああ、こんなところにも町があった。年少の私は夢を見るような気持で思わず深い溜息をもらしたのである。万葉集などによく出て来る「隠沼」というような感じである。私は、なぜだか、その時、弘前を、津軽を、理解したような気がした。この町の在る限り、弘前は決して凡庸のまちでは無いと思った。(『津軽』p.24)



弘前公園から岩木山を望む

いったん公園を出て、かわいらしい弘前カトリック教会を見学し(祭壇がやたらと本格的だと思ったら、アムステルダムの聖トマス教会から寄贈されたものだとか)、弘前城北側の仲町へぶらぶら歩いていく。

このあたり一帯は藩政時代の御家中屋敷の保存地帯。
よく見ると普通の家もちらほら混ざっているようだが、どの家も黒板塀を張り巡らせたりして周囲との調和を図っている。
足が疲れてきたので亀甲門のすぐ近くにあるcafe KITAMONで休憩。せっかく青森に来たのだからとアップルパイを食べた。しかし考えてみたら季節はずれだ。
少し離れたところにある禅林街にも行きたかったのだが、ここであえなく時間切れとなった。
ところが、駅に向かう途中でレンタサイクルを発見。しかも無料。最初に知っていれば利用したのにと歯がみする。

電車に乗り込み、今夜の宿泊地浅虫温泉に向けて出発。
何処に行ってもJRの発車音は同じである。

■浅虫温泉

浅虫温泉について、太宰は『津軽』の中でこのように描写している。

この浅虫の海は清冽で悪くは無いが、しかし、旅館は、必ずしもよいとは言えない。寒々した東北の漁村の趣は、それは当然の事で、決してとがむべきではないが、それでいて、井の中の蛙が大海を知らないみたいな小さい妙な高慢を感じて閉口したのは私だけであろうか。自分の故郷の温泉であるから、思い切って悪口を言うのであるが、田舎のくせに、どこか、すれているような、妙な不安が感ぜられてならない。(『津軽』p.14)

少年時代の太宰は母や弟とともに、たびたびこの地へ湯治に訪れた。その時に利用した宿こそ、私が今回宿泊した椿館である、ということは東京に帰ってから知った。椿館は今は棟方志功の常宿として知られ、館内には志功の絵が何枚も飾られている。
太宰の時代から60年ほども経た今の浅虫は、彼が言うほど俗っぽくもなく、暮れなずむ海辺の町は、むしろ丁度良い具合にさびれた温泉地といった風情だった。「浅虫も、いまは、つつましい保養の町として出発し直しているに違いないと思われる」(p.15)といったところだろうか。


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