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トルデシーリャス Tordesillas

¿Con qué la lavaré
la tez de la mi cara?
¿Con qué la lavaré
que vivo mal penada?

Lávanse las galanas
con agua de limones.
Lávome yo cuytada,
con ansias y passiones.
¿Con qué la lavaré?──Juan Vásquez

メディナ・デル・カンポがイサベル女王の町ならトルデシーリャスはフアナ女王の町だ。バリャドリッドからは、La Regional V.S.A社のバスで30分ほどの距離にある。

ブルゴスで夫のフィリップ美公を失ったフアナは、その年の12月12日にグラナダに向けて出発した。遺言に従って、夫の遺体を母イサベル女王の眠る王室の墓所に埋葬するためである。
しかし目指すアンダルシアの政情は非常に不安定であった。さらにペストに阻まれたこともあって思うように動けず、それから二年間、フアナはカスティーリャ各地を転々とする。
暑さを少しでもしのぐため、一行は夜間を選んで移動することが多かった。ここから「フアナ女王は夫の埋葬を許さず、その棺を携えて夜な夜なカスティーリャ中を彷徨った」という有名な伝説が生まれる。
1509年、女王が敵対勢力の手に落ちることを怖れた父フェルナンドによって、フアナはトルデシーリャスの宮殿に移される。事実上の幽閉であった。しかもそれはフェルナンドの死後も終わらず、幽閉生活はフアナ自身が亡くなるまで実に47年の長きに及んだ。

La reina doña Juana 'la Loca'(1906)
Francisco Pradilla

女王フアナ・“ラ・ロカ(狂女)”
フランシスコ・プラディーリャ

※クリックで拡大します

さてトルデシーリャスのバスターミナルについたものの、まぬけにも地図を忘れてしまったので、どっちの方角に行けばよいのか分からない。
小さな町だからなんとかなるだろうと適当ににぎやかそうな方向に歩いていくと、プラサ・マジョールに突き当たった。広場を向け細い道をさらに進むと急に目の前が開け、気がつけばドゥエロ川のほとりに立っていた。
ドゥエロ川を見下ろす形で、高い塔を持つサン・アントリン美術館と、トルデシリャス条約が締結された建物が並んでいるが、シエスタが終わるまでまだ間があるようだ。


一段低い所にちょっとした公園のようなスペースがあり、ドゥエロ川とその向こうに広がる林を眺望できるようになっている。このあたりにフアナの住んでいた宮殿があったらしい。つまり、ここから見える風景をフアナも毎日眺めていたことになる。
広場の端には、真新しいフアナの像が立っていた。左手に王冠、足もとに地球儀を持ち、俯き加減の女王の顔は、現代的な感じで肖像画にはあまり似ていない。
宮殿が現存していないのは大変残念だが、そのかわり、フィリップの遺体が安置され、フアナもたびたび礼拝に訪れたというサンタ・クララ修道院が少し離れたところに残っているので、さっそく行ってみることにした。

■サンタ・クララ修道院 Real Monasterio de Santa Clara

公式サイト

ちょうどガイドつきツアーが始まる所だったので急いでチケットを買って合流する。見学者は10人ほどで、ほとんどがスペイン人のようだ。
チケット売場から蔦の絡まる門をくぐると広い庭に入り、そのさらに奥にタイル貼りの柱に囲まれたパティオがある。かなり異教的な雰囲気で、一見して修道院には見えない。



修道院の中庭
サンタ・クララ修道院がこのような外観を得るに至ったのは、以下のような来歴による。
この建物は、もともとアルフォンソ11世の宮殿として着工されたものだった。アルフォンソ11世の死後、建設は息子のペドロ1世に引き継がれ、この王好みのムデハル様式の装飾が施される。
一時期は王太后やフランスから嫁いだブランカ王妃の住居にもなったようだが、実質的な女主人となったのは寵妾マリア・デ・パディーリャで、彼女の子供たちのうちイサベルとアルフォンソの二人がここで生まれている。

1362年頃にマリア・デ・パディーリャと王子アルフォンソが相次いで死去すると、ペドロ1世は長女ベアトリスに命じて宮殿を修道院に改めさせた。
かわって現在のサン・アントリン教会との中間地点あたりに新しい宮殿が建設され、代々のトラスタマラ朝の王の住居となる。
現在フアナ像のある広場がその場所にあたるが、18世紀にはすでに廃墟になっていたという。

見学は係の女性によるスペイン語の説明つきで進むが、聞いてもほとんど分からないので、ラス・ウエルガスの時と同じく、固有名詞を聴き取ることに耳を集中させる。



フアナは少女時代から音楽を良くしたと言われている。
彼女が使ったクラビコードが保存されていた。
ずいぶんと鍵盤が小さい気がしたが、古びてガタガタになっているからそう見えるだけかもしれない。
花模様の装飾は18世紀に描き加えられたのものではないか、とのことだった。



中庭に面した回廊

聖母子像

《礼拝堂》

フィリップの遺体が安置された礼拝堂には、フアナもたびたび訪れた。金色の天井が目をひく。
入り口の壁の上など、所々にイスラム風の装飾が残っている。


礼拝堂
祭壇脇には双頭の鷲が描かれる

右側の「サルダーニャ家の小礼拝堂」には地下墓所への入り口がある。フアナ自身の遺体も、死後19年に渡ってここに埋葬された。


地下墓所への入り口

サルダーニャ家の女性の像

ドゥエロ川に面した入り口

《アラブ風呂》

ひと通り修道院内を見た後、いったん外に出てアラブ風のおふろを見学。ペドロ1世が入ったのだろうか。

天井には採光のための星形の穴が開けられている。アラブ風呂というのは、冷水とお湯に交互に入り、かつサウナを備えたようなものらしいのだが、説明を読んでもよく分からない。
見学を終えて入り口に戻る途中、見学者の一人が係の女性にフアナについて質問しているのが耳に入った。
思わず聴き耳を立てたが「ドニャ・フアナ・ラ・ロカはドン・フェリペ・エル・エルモーソが死んだ後…グラナダの王室礼拝堂…埋葬されて……」といくつかの単語をきれぎれに聴き取ったのみ。残念。
聞きたいことを質問できて、かつ回答を聞き取れるくらいまでスペイン語が分かるようになりたいものだ。
聞き取れなかった説明を補うために、帰りに売店でパンフレットを入手(いつも買ってから思うのだが、こういうものは見学後より見学前に買ったほうがいいよね……)。当然日本語のパンフレットなどはないので、フランス語版と英語版のうち、より厚くて詳しそうだった英語の方を選んで購入した。

実を言うと私がこの10年間想像していたサンタ・クララ修道院は「陰惨で冷たい石の牢獄」だった。これはフアナの狂気と幽閉生活をセンセーショナルに扱った書物(特にハプスブルク寄りの視点から書かれたもの)に影響されていたからに他ならない。
けれど実際のサンタ・クララ修道院は暗い牢獄などではなく、イスラム風の装飾、オレンジ色がかった外観など、意外なほどに明るくて美しい場所だった。そのことがとても嬉しかった。考えてみればペドロ1世が愛する妻のために建てた宮殿が、そんなに陰気なところのはずがないものね。
自分の目で見なければ解らないことはある、決め付けてはいけないとつくづく思う。

■条約の家 Casas del Tratado

フアナ像の近くまで戻ると、サン・アントリン美術館と観光案内所がシエスタを終えて営業再開していた。
案内所に入って今更ながら地図をもらうと、どうやら私はバスターミナルからだいぶ遠回りをしてここまでたどり着いていたらしいことが分かった。
この時案内所のお姉さんから「どちらからいらしたのですか?」と聞かれる。ここ以外でも、観光案内所では最後に必ずどこから来たのか質問された。ブルゴスの観光案内所ではオーストラリア人の男性も同じ質問をされていたので、私が東洋人で珍しいからというわけではないようだ。統計でもとっているのだろうか。
観光案内所が入っている建物は、1494年にトルデシーリャス条約が締結された場所だ。
しかし、義務教育で「トルデシリャス条約」について習ったときには、まさか十数年後に自分がその町を訪れることになるなんて夢にも思わなかった。
建物の裏手にある中庭では、歴史建造物の模型のようなものを展示していた。

■サン・アントリン美術館 Museo de San Antolín

サン・アントリン美術館はもとは15世紀に建てられた教会で、現在は宗教美術を中心に展示する美術館となっている。
バリャドリッドの彫刻美術館にあった所蔵品のほうがモノは良いのだろうけれど、展示されている空間が本物の教会なのがよい。
サン・アントリン美術館の塔を上って、建物の上に出ることができた。
午後5時をすぎても初秋の日差しはまだ強い。眼下にはドゥエロ川が滔々と流れ、その水面が陽光を映して輝いている。鳥が群らがって頭上を飛んでいく。
目の前に広がるトルデシーリャスが風光明媚な美しい町であることに、私は満足していた。半世紀という長い年月を、フアナはこの町から一歩も出ることなく過ごしたのだから。
今、フアナはトルデシーリャスにはいない。サンタ・クララ修道院の礼拝堂にいったん埋葬されたことはすでに書いたが、19年後に両親と夫の眠るグラナダの王室礼拝堂に移されたのだ。
フアナを追って、私もグラナダに行くことにしよう。


プラサ・マジョールのバル

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