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■カサ・デル・コルドン Casa del Cordón

写真では四角くてつまらない建物に思えたのだが、実際に見たら細かな彫刻がほどこされていてなかなか美しかった。

扉の脇には、コロンブスが二度目の航海の後にカトリック両王に謁見した、という意味のことが書かれたプレートがとりつけられている。
カトリック両王の長男フアン王太子(フアナの兄)と、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の長女マルグリット(フィリップ美公の妹)が結婚式をあげた場所でもある。

フィリップ美公はこの館で亡くなった。
イサベル1世の死後、王位を継承したフアナと「カスティーリャ王フェリペ1世」を自称したフィリップは、ブルゴスに宮廷を構えた。1506年9月17日、貴族の館に招かれてペロータに興じたフィリップは大いに汗をかき、冷水を一気に飲んだ。その後で突然体調を崩す。ここカサ・デル・コルドンに運び込まれて病床につき、看病もむなしく約一週間後の25日に死去するのである。

日曜の昼間なので周囲のお店は閉まっており、通りかかる人も少なく、通りからややひっこんだ所にある広場は静かだった。白い壁を見上げてしばし妄想もとい感慨にふける。499年前の今日もこんな美しい日だったのだろうか。
王侯貴族の遺体は内蔵を取り出され、防腐措置を施される。フィリップの心臓は取り出されて故郷フランドルに送られた。ベルギー・ブルージュの聖母教会では、母マリー・ド・ブルゴーニュの遺体とともに彼の心臓が埋葬されていたという穴を見ることができる。
一方、フィリップの「本体」はブルゴス市内のカルトゥハ・デ・ミラフローレス修道院に移された。夫の死に錯乱したフアナはこの修道院をたびたび訪れては柩の蓋を開けさせ、夫の遺体に話しかけたと言われる──フアナ女王の「狂気伝説」の始まりである。

タクシーを拾って、カルトゥハ・デ・ミラフローレス、往復でとお願いした。往復にしたのは、ミラフローレス修道院のまわりでタクシーをつかまえられるかどうか分からなかったからだ。
タクシーの運転手さんは感じの良い人でいろいろ話しかけてくれるが、言葉がほとんど分からなくて申し訳なかった。

■カルトゥハ・デ・ミラフローレス修道院 Cartuja de Miraflores

公式サイト

町の中心部を離れ、緑の木立の間を抜けて10分ほど走って到着した。カサ・デル・コルドンもそうだったが、古い建造物なのに外壁が真っ白だ。汚れを洗い落としたばかりなのだろうか。その白さに強い日の光が反射してまぶしい。
運転手さんは駐車場で待っているからと(たぶん)言って入り口で降ろしてくれた。
受付けのおじさんはニコニコしながら、どこから来たの? 日本? 東京か、と大変愛想が良い。
スペイン語のパンフレットとその英訳をもらって中に入る。ラス・ウエルガス同様、現在も修道士たちが暮らしているので見学できるのは礼拝堂だけだが、敷地はかなり広い。
ここにはイサベル1世の両親すなわちフアン2世と王妃イサベル・デ・ポルトガル、そして13歳で亡くなった弟アルフォンソ王子の墓があると聞いていた。


イサベル・デ・ポルトガルはフアン2世の二人目の王妃で、彼女が嫁いできたときにはすでに前王妃との間に産まれた王太子がいた。フアン2世が死に、この王太子がエンリケ4世として即位すると、継息子と折合いが悪かったイサベル王妃は城を出て、イサベル王女とアルフォンソ王子、二人の子供とともにアレバロに隠棲する。
もともと異常な振舞の多かったと言われる王妃は、不遇な生活でますます精神状態を悪化させた。フアナの精神疾患はこの祖母譲りだと言う人もある。
狂った母のもとで、王族にふさわしい教育どころか衣服も満足に与えられなかったイサベルとアルフォンソは、文字通り身を寄せ合うようにして成長する。
1462年、エンリケ4世の王妃フアナ・デ・ポルトガルが正統性の疑わしい王女を産むと、王位継承をめぐって内戦が勃発し、アルフォンソ王子が次期国王候補として反王派に担ぎ出される。
アルフォンソは「アルフォンソ12世」を名乗って異母兄と対立するが、病気であえなく早世した。若年ながら勇敢で政治的才能に恵まれた王子だったと言われている。
イサベルは異母兄が生きている間はその権利を侵害するつもりはないと宣言して身の安全を確保する。

礼拝堂のファサードには彫刻が施されているが、石の間からは草が生えていた。国王の墓所としては地味な印象だが、質素を旨としたイサベル1世の趣味だろうか。
一歩礼拝堂に入った瞬間、信じられないものを見た。礼拝堂の中ほどに、垂れ幕のようなものがかかって行く手を阻んでいる。これはまさか……。
事態を悟った瞬間、膝からへなへなと崩れ落ちそうになった。
礼拝堂は修復中で、見学できるのは入り口側の半分だけだったのだ。
フアン2世とイサベル王妃、アルフォンソ王子がいるのは当然垂れ幕の向こう。フィリップ美公の遺体もおそらく彼らのそば、祭壇に近い位置に安置されていたのだろう。パンフレットを読む限りではこの祭壇がまたすばらしい作品らしく、見られないのが惜しい。

垂れ幕には礼拝堂内部の様子を写した写真が転写されている。そこに写し出されていた祭壇と、フアン2世とイサベル王妃の棺らしき姿を見て、せめてもの心の慰めとした。両陛下への拝謁叶わず、拙者無念でござる。
落胆しながらそれでも礼拝堂(半分)と附属の小部屋を見て回り、外に出るとタクシーの運転手さんと受付のおじさんが世間話をしていた。
タクシーに乗り、バスターミナルまで行ってもらう。
来たときと同じ林の中の道を走っていく。やがて道は折れてアルランソン川沿いに出る。ブルゴス市中心部までは、距離にして4キロほどあるようだ。車のなかった時代にはもっと遠く感じられたことだろう。

『狂女王フアナ』(彩流社)の著者西川和子は、フアナが夜な夜なミラフローレスに通いフィリップの棺を開けさせたという伝説について「十六世紀の始めに、ちょっと行ってこよう、という距離ではない」と否定している。同書によると、フアナがミラフローレスを訪れた確かな記録は二回分しか残っていないそうだ。
バスターミナル近くで降ろしてもらった。
運転手さんは、スペイン語の分からない私のために、お釣りのお札とコインを1枚1枚数えながら渡してくれた。親切な人だったので、お釣りの中から多少チップとして差し出すと、「いや、これでいいんだ」と押し返そうとする。
「いやいや」「いやいやいや」「いやいやいやいや」
しばし言葉にならない問答を繰り返した後、「ああ! そうか。ありがとう」と急に納得した様子でお金を受けとってくれた。どうやら、私が金額を勘違いして多めに渡そうとしていると思ったようだ。ああ、本当になんて善き人なんだ。こんな異邦人、カモろうと思えばいくらでもカモれるのに。

シエスタを終えた町はますます活気にあふれている。巡礼らしき人の姿も見られた。土産物屋にも、巡礼者が首から下げるホタテ貝や、カテドラルを形どったピンバッジなどが売られている。
カテドラルの裏にまわってみると、こちら側はまだ掃除が終わっていないのか、正面が白くてきれいなのに対して黒く煤けている。地元の少年たちが自転車に乗って長い階段を駆け下りる遊びをしていた。
カテドラルの後ろは斜面になっていて、登ると展望台、そのさらに上にはナポレオンに破壊されて廃墟になった中世の城がある。廃墟フェチとしてはぜひ見てみたかったが、すでに城壁の中に入れる時間を過ぎていたことと、ひと気がなく寂しそうだったこともあって断念した。
アルランソン川にかかる橋の上に立って川沿いの柳が風に揺れる様子を眺めていると、この町が去年訪れたリールやブルージュになんとなく似ていることに気づいた。
自分の宮廷を置く場所としてブルゴスを選んだフィリップ。ここがカスティーリャ王国の由緒正しい古都であったことはもちろんとして、故郷フランドルを思わせるたたずまいに惹かれる気持ちもあったのかもしれない。

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