HOME 2004.9.27(月)ブルージュ Brugge13:32の電車に乗ってブルージュへ。ゲントから30分ほどで到着。
ローデンバックの文章がふいに頭にひらめき、ああ、これが死の都か、と実感した。 ■マルクト広場 Marktにぎやかな広場。観光客がたくさん。というか私がそのひとりなのだが。
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『死都ブリュージュ』収載の図版ととほぼ同じアングルで写真を撮ってみた。
ヤン・ファン・アイク像の背後に見える赤茶色の建物は、ロードステーン(赤い石)と呼ばれているそうだ。
ヤン・ファン・アイク像のほぼ正面に建つこの建物は、かつてブルージュ市民たちの集会所として使われていたもの。現在は古文書館になっている。
壁龕にはブルージュの紋章にも登場する熊の姿がある。11世紀、ボードウェイン伯が城塞を築くためにこの地に足を踏み入れた時、最初に出会った生き物が熊だった、という故事によるものだとか。
時々衣装が替わるらしく、この日はピエロのような服を着ていた。
この辺りでは人影もまばらだった。
メインストリートをはずれると、古い路地が迷路のように入り組んでいて、一本道ですら迷う私にはとうてい覚えられない。何度も方角を見失い、ベフロワ(鐘楼)を目印に方向転換をする。
月曜なので美術館などは大抵休み。かろうじて開いていた教会を中心に見学する。
グルートゥーズ美術館の庭 |
船着き場 |
かなり無骨な外観で正直あまり美しいとは思えないのだが、聖母教会やベフロワなどとセットで遠景で見ると趣がある、ような気がする。内部には壮麗なパイプオルガンがある。
フィリップ善良公が創設した金羊毛騎士団の集会もここで開かれたという。
聖血礼拝堂内部(二階部分) |
ブルグ広場に面して建つ聖血礼拝堂はゴシック様式の上部とロマネスク様式の下部、二重構造の礼拝堂。
フランドル伯ティエリー・ダルザスがコンスタンティノープルから持ち帰った聖血(キリストの血)を安置する。
入り口中央にマリー・ド・ブルゴーニュの金色の像がある。中に入るとひんやりして暗い。階段を上がっていくと石作りの礼拝堂に出る。
薄暗い中に色とりどりの装飾がぼんやり浮かんで見える。
『死都ブリュージュ』のクライマックス、聖血の行列はここから出発するのだ。
マリー・ド・ブルゴーニュとシャルル突進公の墓がある聖母教会は時間切れで見学できなかった。明日に回すこととしよう。
小腹が空いたので、ザンド広場でワッフルを食べた。日本でも流通しているリエージュ風のワッフルではなく、ブリュッセル風のふわふわしたワッフル。私はこちらのほうが好み。
日が暮れてからの眺めはすばらしかった。電気を消してしばしその夜景を堪能したあと、ベッドに入り、目を閉じる。
そのとき。
ぷ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん
という、蚊の鳴くような声が……。
「ような」じゃない、これはまさしく蚊だ!
横になったまま息を潜め、耳をすます。近寄ってきたところを叩く! が、どうしてもとらえられない。諦めて横になると、またどこからか羽音が。
ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊のほそ声に、わびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。羽風さへその身のほどにあるこそ、いとにくけれ(怒)。
10月も近いと思って油断していた。運河の多い街なので、蚊が多いのだ。
結局奴を捕らえることはできず、不安に思いながら就寝。
救世主大聖堂(左)と聖母教会 ホテルの部屋からの眺め |
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