長崎巡礼  2008.12.18〜12.21

■日程

2008.12.18(木)

長崎市内・消えた教会跡めぐり

 羽田空港〜長崎空港 →長崎(1)
 →(2)(3)(4)

2008.12.19(金)

千々石ミゲル関連史跡

 千々石伊木力長崎(5)

2008.12.20(土)

山手散策と神の島

 長崎(6)(7)(8)神の島

2008.12.21(日)

原爆遺跡と浦上のキリシタン史跡
大村のキリシタン史跡

 長崎(9)(10)大村
 →長崎空港〜羽田空港

   

おまけ:

東京のキリシタン史跡(1)(2)

 

◇参考文献等



写真:神の島教会の聖母像とねこ




■旅の目的

大航海時代の女王、イサベル1世とフアナ1世の足跡を求めてスペインを旅してから、はや三年。未曾有の原油高とユーロ高に阻まれて海外旅行は控えていたけれど、あの時代に惹かれる私の気持ちは変わらず、関連書籍を読んだり、当時の音楽を聴いたりといったことは細々と続けていた。
ただ大航海時代について考えるとき、私の頭の中にあるのはヨーロッパとせいぜいアメリカ大陸のことばかりで、「日本」はまったく関心の外にあった。戦国時代にヨーロッパ人が日本へやってきてキリスト教の布教を試みたこと、信長が宣教師を保護したことや、その後の秀吉・徳川幕府による迫害については、もちろん知識として知っている。しかしそれは日本史上のほんのわずかな期間に過ぎなかったし、特にキリスト教の痕跡は江戸幕府によってきれいに消されてしまっていたから、かつて東西の劇的な邂逅があったという実感はなかなか湧いてこなかった。近代以前の西洋と日本はあまりにも遠くて、ほとんど別の世界のように思われた。
認識を改めさせられたのは2007年、一枚のCDを聴いてからである。
それは長崎生月島に伝わる隠れキリシタンのオラショを収めたCDだった。オラショとは隠れキリシタンの人々が代々受け継いできた祈祷文で、多くは歌のような独特の節を持っている。その中のひとつ「ぐるりよざ」を聴き、解説を読んだとき、私は言葉を失った。
長い年月の間に元のメロディーは失われ、お経か御詠歌のような響きに姿を変えながらも、その歌詞は紛れもなく16世紀の聖歌――私もスペイン古楽としてかねてから愛聴していた――O gloriosa Dominaだったのである。
カトリック両王やフアナ女王の時代にカスティーリャで歌われていた聖歌。それがイエズス会宣教師によって日本へもたらされ、長く激しいキリシタン迫害の嵐にも絶えることなく、口伝えに受け継がれ生き残ってきたのだ。
そう思った瞬間、震えが走るほどの感動に襲われた。おかしな比喩かもしれないが、私自身が16世紀の南蛮船に乗ってスペインを出航し、そして現代の長崎にたどり着いたような、そんな感覚だった。
それから何ヶ月か経って、文庫化された若桑みどりの大作『クアトロ・ラガッツィ』を読み、その面白さに熱はいっそう高まった。
以来、私は大航海時代の日本、特に長崎を舞台にしたキリシタン史の本を意識して読むようになった。その中の一冊、H.チースリク『キリシタン史考――キリシタン史の問題に答える』にこんな一文がある。

ポルトガルが東、スペインが西へ進んだとき、何処かで再び出会って衝突しなければならなかった。この衝突の場が、政治上ではフィリピンであって、宗教上では日本であった。

日本を抜きにして大航海時代は語れない。
こうして私は長崎行きを決めた。





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